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退学、停学続出の学校にどう立ち向かう ※※当時の気持を書いています※※

○○高校に入学したのは1991年(平成3年)4月。実家の神辺町から○○高校までの約60Kmを3年間通うことになった。家からJR湯田村駅まで自転車、福塩線で福山まで行き、山陽本線に乗り換えて中庄という駅で下車、そこから徒歩で学校という1時間30分の通学時間。
近くに多くの高校があるのに、なぜ、そこまでして遠くの学校に行く必要があったのか?
いつも一人で家にこもってばかりの私は、中学校の時ほとんど友達がいませんでした。というより、泣き虫こむしのいじめられっこだったのです。だから私は、高校に行くなら神辺中学校のみんながいないところに行こうという気でいました。
結果、神辺中学校から○○高校へ入学した人間は4人で、そのうち商業科が3人、普通科は私1人、実際、商業科と普通科は建物が別で授業内容が全く違うので、3人と会う機会はなかったのです。
そんなこんなで、とりあえず自分の思ったように事が進んで行く高校生活なのですが、入学するまではハラハラドキドキだったのです。

○○高校、
私の認識では当時岡山県の私立高校では下から数えて●番目という悪い学校。いじめなどでの停学は当たり前で、3年間で何十人という単位で退学者が出るといった学校だ。(と思う)
いじめられっこだった私が、こんな学校でやっていけるのか。入学が近づくにつれ気持ちが重くなる一方だった。

しかし、なぜ、このような学校に行かなければならなかったのかというのが問題だ。私の中学校の成績は最悪で、本当はもっと下の学校に行くしかなかったはずだった。担任だった高橋先生が私のためを思ってくれて(多分。。)○○高校への推薦をしていただき、おかげで行くことになった高校。これでも感謝せねば!

さて、そんなこんなで迎える○○高校の入学式。いじめにあうのはほぼ決定といったところか。
しかし、私はここぞとばかり、とんでもない行動に出るのでした。

(つづく)

※※この記事は、あくまでも個人的な当時の気持を書いたものです。今ではこの学校を卒業してほんとによかったと思っています。気を悪くされた皆様にはお詫び申し上げます。※※

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