マーくんの「本を斬る」のコーナー  VOL.1

 みなさんこんにちは。私は「ほんわか」のマーくんです。あるキッカケにより今後「本の評論」をしていくことになりました。そのキッカケというのも、「最近の子ども・大人も含めてぜんぜん本を読まなくなった」論に反対するためです。なぜ反対するのかはとりあえず置いといて、反対するためには「読まなくなった」論が正しいかどうか具体的に検証してみる必要があります。とりあえず私の周りにいる大人を対象に調査をしてみました(対象サンプル数 13名 聞き取り方式)。

 結果、見事なことに13名全員が本を読んでいません。理由は一様に「仕事で帰ってきて疲れているのに本なんか読むか」です。また、自分が本を読んでいないことを棚に上げ、「帰って本読むなんて、おまえヒマなんと違うか」とこっちを攻撃する始末。これは大変な問題であります。この憂慮すべき問題に対し、早急に解決策を嵩じる必要があり、筆をとった次第であります。

本題の評論に入る前にここで問題になるのが、ではなぜみんな本嫌いになったのでしょう。「忙しい」というのはもちろん単なる方便です。客観的に見て、どうみても私よりヒマそうな人でもパチンコに行っても本は絶対読みません。

そういう人にかぎってパチンコでリーチがかかるたんびに台をどつくなど、まったく無意味な行動をとることによって他の客に白い目で見られている実態があります(パチンコは完全確率抽選方式を採用しているため、スタートチャッカーに玉が入った瞬間に当たりハズレが既に決定しており、どつく行為はまったく無意味と考えられる。スロットも同様)。

昔はパチンコ店といえばパンチパーマの店員さんが常に客に対し、監視の目を光らせていたため「どつく人」も少なかったのですが(即事務所行き・その後は不明)、今はパーラーとか言ってパチンコ屋もやっきになってイメージチェンジを図っており、またぞろ「どつく人」が増えてきました。これも憂慮すべき問題であります。

話がかなりの勢いで脱線しておりますが、ここまで本アレルギーになるには、よほど今まで学校教育の中でクソ面白くもなんともない本を読むことを強制され、「読書感想文」という、これまた面白くもない作業を延々と強制されてきた弊害によるものと推測されます。現に、「本は読んでもいいけど、感想文が嫌だ」という子はたくさんいます。

感想文を止めることは簡単ですが、実はその「クソ面白くもなんともない」本が、見方を変えればこんなに面白いことを証明していきたい、とも思っています。

いらんことを書いてたら紙面がなくなってきました。「知的サラ○○マンシリーズ」とか
「竹○健○」氏とか「三○志から見る上司の条件」とか読んでいる方、あるいは本が嫌いという方、ちょっとこのコーナーを読んでみてください。きっと本を読むことが好きになりますよ。