マーくんの「本を斬る」のコーナー  VOL.3



今回はいきなり本の紹介からはじめます。

ウィルソン・ブライアン・キイ 著

「メディア・セックス」 リブロポートより出版です。

 この本は1976年アメリカのメディア研究の大家、キイによって書かれました。キイはこの中でアメリカにある映像・雑誌・ポスターなどビジュアル表現、またレコード芸術など何げない表現の中にかなりいかがわしいメッセージが隠されていることを発見しました。具体的に言いますと、みなさんは「サブリミナル・コントロール」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。いわゆる大衆のサブリミナル(潜在意識)を無意識に刺激して商品を買わせたり、レコードに接する人を操るという宣伝方法のことですが、この手法があらゆる場面で巧妙に使われていることをキイは立証しました。

極端な例をあげますと、1956年に報告されましたが、ニュージャージーのある映画館でウィリアム・ホールデン出演の「ピクニック」が上映されていました。このスクリーンに一秒間に何十コマという肉眼では知覚できないくらい短いショットで、誰かが「POPCORN」と「DRINK COCA COLA」の文字を繰り返し挿入しました。

そうしたら映画館内のポップコーンの売り上げが普段の58%、コーラが18%上昇しました。この問題はその後大きな反響を呼び、2年後には連邦通信委員会によって、テレビCMに同様の手法を用いることを禁止しました。この話はマンガのドラえもんでも紹介されているので、知っている人も多いと思います。

はじめこの話をドラえもんの単行本で読んだのは私が小学校4年生の時でしたが、何か嫌な気分になったのと同時に、「禁止されたんならいいや」と気楽に構え、その後の「ドラえもん」の展開に一喜一憂し、すっかりこの事を忘れておりました。

 しかしこれよりもっと巧妙な手法があの有名なビートルズに使われていたとしたらどうでしょう。
 ビートルズは反体制・反暴力・平和というイメージで、みんな「良い」という人が大変多いですが、そのイメージも実は大衆の潜在意識を利用して意図的に作ったものだ、とキイは指摘しています。

 キイによると、ビートルズの使った代表的なサブリミナル・テクニックに「ポール・マッカートニーが死んだ」と見せかける、というのがあります。ビートルズが人気絶頂の時に、1度ポールがいなくなったという騒ぎが起きました。これは単にしばらくの間、ポールが公の場に出なかっただけなのですが、世界中の新聞が「ポール死亡説」のウワサをこぞって流しました。

 こうすることにより、ビートルズに対する注目を集めるという効果と、もう聴けなくなるかもしれない、というファンに対する飢餓感を煽るという二重の効果を狙ったといいます。「それは意図的にしたものではない」という人もいるかもしれませんが、それならウワサを否定するために、ポールが出てきてどっかの雑誌か新聞社のインタビューに答えればよいのですが、当然そんなことは実現されませんでした。

 また一方でレコードにもポールの死をほのめかす手の込んだ演出が行われました。例えば

@
アルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」に収録された「ストロベリー・ファームズ」という曲の最後の部分で、不気味な低い声が「私がポールを埋葬した」とつぶやく。

A
「サージェント・ペパーズ」のアルバム・ジャケットの裏、4人のメンバーの写真でポ−ルだけが後ろを向いている。

B
「アビー・ロード」のジャケット、ポールが裸足で手にマリファナらしきものを持っており、死人の役を演じている。

C
「ビートルズ・イン・ザ・ビギニング」のジャケット、4本のロウソクがあるが、そのうち1本だけが消えている。

など、ファンを含めて大騒ぎの最中に、レコードに様々な細工がなされました。重要なのは、そうした細工がファンの意識に気づかれないように、潜在意識に訴える形で行われたことです。そのほうが100万ドルをかけた宣伝より、はるかにアルバムを売るのに貢献します。

では、何のためにこんな手の込んだことをするのか、という問題が出てきます。どうみてもビートルズのメンバーが行なったと考えるのは困難で、誰かが後ろについていて指示した、と考えるのが妥当です。ビートルズを使って誰かが「大衆操作」のシュミレーションを行なった、というのも考えられますが、ハッキリ言ってわかりません。ただ、レコードを売って大儲けしたい、というのが目的ならば、十分その目的は達成しました。ビートルズの関係者には、今でも寝ていても多額の印税が入るようになっています。

 キイはこの他にもビートルズを含め、当時の反体制を意識したロック歌手(ボブ・デュランやサイモンとガーファンクルなど)の歌詞の中に、ドラッグの露骨な肯定を意図したものが多数あることも指摘しております。詳細はぜひこの本を読んで確かめてもらえればと思います。

(次回予告)

今回もかなりマニアックな内容になってしましましたが、いずれにしても現在の日本では、キイのような分析は受け入れにくいほど「ビートルズ神話」が出来上がっています。こういう少しでも反対の意見を言う者を排除する体質は、実は「封建的な」前近代国家より、「民主的な」近代国家の方がより強力になって現れてくるのです。その逆説については次回、本を紹介しながらふれていこうと思います。