マーくんの「本を斬る」のコーナー  VOL.4

1.ドラマ「白い巨塔」はなぜおもしろいか?

 毎週木曜日、ドラマ「白い巨塔」が放映されています。今回はなぜこのドラマがおもしろいのか、何の脈略もなく検証してみます。結論から先に言いますと、みなさん「好きじゃ・嫌いじゃ」「あなたがいないと生きていけない」的現在日本の恋愛ドラマ事情に嫌気がさしている、と言えます。それが証拠に、おもしろい理由を私の周辺の人に聞いてみたところ(サンプル数 8名 年齢 23〜74才)、「普通の恋愛ドラマと違って真剣味があって良い」「もう恋愛ドラマは疲れた。どうでもよい」といった意見が大半を占めます。

 私事を言いますと、今から12年くらい前、「東○ラブストー○ー」なるドラマが放映されておりました。当時大学生で学生寮に住んでいた私は、狭い部屋にて、寮生5人くらいで毎週このドラマを見ていました。当時から日本の恋愛ドラマ事情に否定的な見解をもっていた私は、本当は「カープ○○丸」「カープの○○キャンプレポート」の方を見たかったのですが、何せ実家からテレビを持ってきている奴が一人しかなく、しかたなく「時代に乗り遅れないためにも」ドラマを見ていました(注1)。

 しかし、「あなたがいないと生きていけない」とかよく言ったもんですね。「だったら好きにしろ」と言いたいとこですが、あんまり言うと近所の居酒屋で文句言っているオヤジのように思われるのでこれぐらいでやめます。

話をもとに戻すと、こういった「恋愛至上主義」的風潮、思考が長いこと日本を支配していたのはまぎれもない事実であり、みんな何となく胡散臭いと感じながらも従っていたのは事実であります。それに疲れた人が揃って「白い巨塔」を見ている構図が想像できます。
さあ、みなさんも「財前の役は唐沢より田宮の方が良い」といったあたりまえの批評をする前に「白い巨塔」を見て、恋愛至上主義に文句を言いましょう。

 

2.本の紹介

 今回の本は「ブレンダと呼ばれた少年」 ジョン・コラピント著 無名舎 出版です。
 みなさんジェンダーという言葉を聞いたことがあると思います。ジェンダーとは社会的・文化的に規定された性のことで、いわゆる「男らしさ、女らしさ」という観念はその後の成長過程において、社会やその文化が決めるとする考え方です。

 簡単に言いますと、男らしく生きたいとか女らしく生きたい、といった性意識はその人の生きていく中で周りの社会や文化、環境が左右している、という考え方といえます。 このジェンダーに束縛されない考え方を「ジェンダー・フリー」と呼び、「男らしさ・女らしさ」といった観念を超えて性を考えることを言います。「性同一性障害」の戸籍訂正問題も、ジェンダー・フリーの考え方が根本にあり、今でも人権思想と呼応して有力な思想として採用されています。

 こう言うと、必ずどちらかのオジサンが「男は男らしく、女は女らしくでどこが悪い」と反論しますが、では、もともと人間が生きていく上で「男らしく生きたい、女らしく生きたい」といった性意識が生まれてくるのは何が要因になっているのか。

ホルモン要因説、染色体説、環境が要因であるとするジェンダーなど、様々言われていますが、この本はジェンダー説を唱えるある有名な心理学者が、自分の説を立証するために貧乏な夫婦の子どもを実験に使った痛々しい記録が書かれています。

 

3.内容について

 1966年4月、アメリカ、ウィニペグにて一人の男の子が尿が出にくいという理由で包皮切除手術をうけます。ところがこの手術が失敗、この子は性器を焼かれてしまいます。
 尿道を確保して、一命はとりとめますが、両親はとても悩みます。将来的に男性として生きていく場合、恋愛、結婚など必ずこの子は傷つくと思うからです。

 そんな時、この両親に救世主が現れます。マスコミや学界で有名だったジョン・マネー博士です。マネーは当時「性科学の第一人者」といわれており、「人間の性意識はホルモンや染色体といった肉体的要因と関係なく、社会や環境によって決まる」というジェンダー説を唱えていました。私も実は彼の著書「性の署名」は読んでいますが、単にホルモンや染色体といった肉体的要因ではなく、社会や文化といった要因を唱えた、ということで意味のある書物でありました(注2)。

 それはともかく、テレビでマネーの演説を聞いた両親は早速相談します。マネーはこの子を女の子として育てることを両親に提案します。
 かくして、女の子としてこの子は育てられることになりますが、「性の署名」や学界においてマネーはこの症例は大成功した、と発表します。

 しかし、その話は本当は嘘だったのです。この子は肉体的にも精神的にも大変傷つき、成人して本当の経緯を両親から聞いた時、迷うことなく「男」として生きることを決意し、結婚もします。この本は、被害者やその家族も仮名ではなく実名で勇気ある告発を行なっています。

 現在日本のマスコミでは、まともに研究もせず思いつきで「抑圧制度としてのジェンダー」を声高々に叫ぶ「自称女性解放論者」がたくさんいます。人間の性意識の要因をどこに求めるのか容易ではありませんが、基礎的文献としてこの痛々しい事件を読む必要があると思います。

注1:
 その時間は部屋で一人本を読む、という方法も考えられますが、「和を乱す」可能性があるためそれはしませんでした。これは「世間」の目がある、と考える思考法と同じであります。日本では「社会」という概念は西洋から輸入されたもので元々存在せず、かわりに「世間」があるわけですが、この世間については研究した本をのちほど紹介したいと思っています。

 注2:
 ジェンダー論はともかく、マネーの理論の中で「性の解放」が言われております。しかし「性の解放」ってそんなに意味のあることでしょうか。人間はタブーを設けることにより文明をつくってきましたが、性というタブーを解放したら、また新しくタブーをつくるだけではないでしょうか?