鞆の浦を世界遺産に!


市民に愛されている鞆の浦。
鞆の浦の街で生まれ育った人はみんな鞆の浦を誇りに想っています。それは鞆の浦が歩んだ歴史の足跡と、当時と変わらぬ最高の景観が今に伝わっていることに裏打ちされています。そして、この鞆の浦は国際的に評価されているがゆえに、福山市民の宝として愛されているのです。
鞆の浦の歴史は日本の歴史
潮待の港として発達した鞆の浦には歴史の中の大きな出来事に関わる場面がたくさんあります。
遣隋使
遣唐使 遣渤海使 空海 源平の戦い 足利尊氏
足利義昭 村上水軍
平賀源内 朝鮮通信使 北前船 坂本竜馬
数えれば限りなくたくさんの歴史上の有名人が鞆の浦に立ち寄り、足跡を残しています。
潮待の港
潮待ちは最低でも数時間かかりますが、、1泊することが多く、長い時には2泊した記録があります。
江戸時代には幕府とって唯一の国賓である「朝鮮通信使」が12回来日していますが、その内11回は鞆の浦に立ち寄っています。
潮待ちの港として発達した鞆の浦は、産業や遊郭などの歓楽街が発達しました。今でもその町並みがたくさん残っています。さらに、港の前方に広がる景観は、あまりにもバランスのとれた美しさで、特に通信使の大使専用宿泊施設として建設された「対潮楼」からの景色は「日東第一景勝」とうたわれました。
歴史の重要人物の中にも、坂本竜馬、平賀源内、足利義昭、空海など、たくさんの人物が鞆の浦に足跡を残しています。

港湾施設の保存状態は極めて良好で、雁木は、寛政年間に建造されたものなどが今でも現役で利用されています。「雁木」とは、潮の干満に影響されず船が接岸できるように考えられた、階段状の岸壁のことです。雁木の他にも、知る貴重な資料灯篭、波止、立て場などが現存しており、当時をとなっています。