青目寺


広島県 府中市本山町1201番

府中駅より東北方にそびえる秀峰亀ケ岳は海抜540mあり、
備後平野を一望にあさめ遠く瀬戸内海の島々、そして四国
連山をも遠望できる景勝の聖地です。
その中腹の中谷イワヤ観音霊場岩谷青目寺があります。
真言宗御室派、山号岩谷山、 本尊十一面観音、もと栄明
寺末。
真言宗に改宗した時期は不詳。


寺伝によると亀ケ岳の山頂、七ッ池周辺(字銭ガタオ・字火
呑ヲク)に讃岐屋島寺の青目が弘仁四年(八一三年)の春、
この地に巡錫のみぎり、山上の霊気ただよう大自然の風光に
関心を寄せられ、仏教宣布の道場にふさわしい地と思われ、
堂宇を建立して十一面観音菩薩を安置、天台宗の寺院として
創建されました。

延喜三年、第五代住職慈雲上人代の勅願所として繁栄。
延喜年間(九〇一〜九二三)山上に十二の堂塔伽藍が建立
されたという。

天慶七年(九四四)火災に遭い、諸伽藍を一時に失ったとい
う(福山志料)。
長久四年(一〇四三年)火災に遭い堂宇焼失。

建仁年間(一二〇一〜〇四)備後の杉原氏が現在地に再建
焼失を免れた仏像を集めて祀ったといい、南北朝期には南朝
方として活躍したとも伝える。

慶長年間(一五九六〜一六一五)には政変により寺領の取り
上げ。

寛保三年(一七四三年)応忍上人の代に里人の帰依を得て、
諸堂・仏像を集め、堂宇(現在地の)修築。

境内には県指定重要文化財の「正応五年二月二十八日座主」
と刻銘のある青目寺塔婆(石造五層塔)があり、本堂には平安
時代初期の作である木造日光菩薩立像・木造月光菩薩立像
および同時代の作と推定される木造聖観音立像と木造天部立
像(二駆持国天・多聞天)などが安置される(以上県指定重要
文化財)。

山頂の寺跡(県指定史跡)は昭和四一、四二年(一九六六、
六七)発掘調査が行われ、中御堂跡・東御堂跡・西御堂跡が
検出された。





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