ヒゲの平成徒然草 2000年 10月   14日号【第 214号】

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□■□■   住まいの移り変わりとこれからの住まい 
  □■□■  財団法人 住宅保証機構 
□■□■ 住まいの移り変わり 「住宅」の移り変わり より

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◆「住宅」の移り変わり◆


【知恵と工夫で、「狭さ」と付き合う】
『戦後復興住宅でのフレキシブルな住まい方』

終戦直後、都市の深刻な住宅不足を補うため、バラック
住宅が建てられます。

1950年にはバラック住宅の居住性・耐久性を高めるため
住宅金融公庫が建設基準を設定しました。

当時の平均的な間取りは、2つの居室に台所と便所のみ。
決して広くはありませんが、同じ空間を「食事」「就寝」
「接客」など、知恵と工夫で棲み分けして使いこなしていま
した。


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◆年表◆ 1950年 (昭和25年)

住まいと建物の主なできごと

・建設白書で住宅不足数340万戸と推定 3月    
・住宅金融公庫の公布、施行 5月6日  
・住宅金融公庫の第一回個人住宅融資申込みの抽選
 7月17日 
・公庫特約火災保険制度の発足
・建築基準法公布

社会の主なできごと

・マッカーサー日本の自衛権認める 1月1日
・初の暑中見舞いハガキ5種 2円で発売 6月25日
・朝鮮戦争勃発 6月25日
・味噌、醤油の自由販売 7月1日

歌:東京キッド

本:チャタレイ夫人の恋人

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ヒゲのひとりごと


≪狭くても ちゃぶ台たたみ 布団敷きゃ 
あっという間に 寝室になり≫

≪ちゃぶ台で 鍋を囲んで 食事して 
オヤジの威厳 崩れてしまい≫

≪サザエさん おたくのちゃぶ台 丸いから 
たくさん座れて 楽しい団らん≫

≪ちゃぶ台を ひっくり返す 一徹の 
真似がしたいが 思ってみるだけ≫

ちゃぶ台で食事する前は お膳で食事をしていました。
武士や町民など身分によって お膳の脚や大きさに
違いがありました。
家庭でも、父の食事は他の家族と比べ一品多いなど
身分や階級がはっきりでていました。
食事は個人個人の分がはっきりしていました。

ちゃぶ台が出てきてからは、一家でそれを囲んで食事
するようになりますが、大皿に盛ったおかずを、家族が
取り合うようにもなり、家長の威厳が崩れていきます。
民主主義が家庭から広がったとも言えます。

そして今では・・・
≪ベランダや ここが我が家の 喫煙所≫
≪親父どけ そこのけじゃまよ 掃除する ≫
≪掃除機で ごろ寝の親父 追いかける≫
≪ホタル族 あちらこちらで 灯がともり≫
≪あらいやだ 帰っていたのね お父さん≫
≪お父さん お風呂の掃除 まだですか≫
≪お父さん 茶碗はちゃんと 洗ってね≫
≪父さんの パンツは別に 洗濯す≫
≪晩酌は 一本だけよ お父さん≫





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