快感原則論 ― 楽しく生きる ―                                   

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目次

はじめに  − 楽しく生きるために −

  I 「楽しさ」とは何か
  
1 「遊び」
  2 「空間」としての「遊び」
  3 「演劇」としての「遊び」
  4 「知的遊戯」
  5 「祭」
  6 「笑い」
  7 自由について

 II なぜ今の日本では楽しく生きるのが難しいのか
  
1 労働時間
  2 終身雇用
  3 人生を楽しまないことに慣れてしまった日本人

 
III 楽しく生きるにはどうしたらよいのか
  
1 主体的に生きる
  2 主体的に生きるために個性を生かす ・ 個性を知る
  3 職業の試行錯誤 ― 転職について
  4 自由教育
   ( i )  主体性と個性をもたせる教育
   ( ii ) 「自由の意義」の教育
   ( iii ) 日本の自由の発展のために
   ( iv ) 自己主張することと「多事争論」の教育
  5 マス・メディア
  6 「年功序列社会」 と若者
  7 感性による行動
  8 芸術、特に音楽について
  9 スポーツについて
  10 ユーモアについて
  11 「生」 を楽しむ ・ 「今」 を楽しむ

 
おわりに
  主要参考・引用文献

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  III − 1   主体的に生きる 


   日本人が人生を楽しめない理由に 「気持ちよく働けない(働くのではなく働かされる)」 というのがあるのは前章で観た通りです( 「終身雇用」の中の 「市民が主体的に生きられない」 の項を参照してください )。 人間は学校を出たら働かなければなりませんし、基本的には働くことは辛いことです。しかし、努カ次第で 「気持ちよく働く」 ことはできますし、「仕事が楽しい」 という人もいます。仕事が楽しかったら、それ以上楽しい人生はないでしょう。そうなるためには、どうしたらよいのでしょう。

    前章で観たように、理科系の研究者などを除いては、日本のサラリ一マンの多くは学生時代に実践的な知識を身につけないまま就職します。また、日本のサラリーマンは入社した会社で受けた研修で習った知識(すなわち、その会社で働くための知識)以外の知識は持っていません。これは、他の会社に入っても通用するような専門的知識に乏しいということであり、言い替えれば 「手に職がない」 ということです。これが 「働く」 のではなく 「働かされる」 原因なのです。

    私たちは手に職をつけ、それを武器にして自分の人生を切り開いてゆかねばならないのです。プロ野球の阪神 ・ タイガースで以前プレイしたラインバックさん(当時ジャイアンツの新人だった江川投手の被ホームラン第1号はこの人の打ったものでした)は、引退して帰国後、紆余曲折(うよきょくせつ)を経てコンピューター ・ スクールに通い、技師の資格を取得し就職しました。また広島 ・ カープの選手だったホプキンスさんは、当時カープでプレイするかたわらで、広島大学医学部で研究活動をして引退後に備えていました。人生は彼らのように自ら開拓してゆくものです。自分に代わって親切に道を切り開いてくれる人などいるはずがないのですから。

    崩れゆく 「終身雇用」 が意味するものは、近い将来に、有能な人は他社から高給でどんどん引き抜かれ、逆に仕事のできない人に対しては解雇が一般化するといった時代が来るということです。これは、本当の意味での 「競争社会」 が到来するということです。

    したがって、勤続年数に応じて自動的に昇進し、実カにそぐわないポストについて高給を取る人はいなくなるでしょう。また、企業は有能な人には責任の重い任務でも自由裁量で任せるようになり、逆に言えば、会社の指示がなければ何もできないような人はいつまでたっても昇進はないでしょうし、最悪の場合は解雇ということになるでしょう。

    これからの日本人にとって必要なことは、一人一人が自分の個性を知り、その個性を生かした何らかの能カを身につけ、その能カを武器にして仕事ができるような職場を見つけて働くことです。 会社に依存することはもはやできません。人生においては、結局は自分の身は自分で支えるしかないのです。

   自分に合っていない職業 ・ 会社で無理に順応しようとしても気持ちよく働くことはできません。もし、自分に合った職業 ・ 会社がないのなら自分で仕事や会社を新しく創造するくらいの気持ちも必要でしょう。

 

 

 

    いわゆる 「一流大学卒」 という学歴ももはや切り札にはなりません。 日本の大学で教学されていることがさほど企業経営に役立つ訳でもないのに、企業が今日に至るまでいわゆる一流大卒の人々を優先して採用してきたのは、彼(女)らの 「要領良く能率的に受験勉強という仕事をこなし、首尾よく難関校に入った」 という実績を評価したからです。つまり、「受験に必要な知識を大量に丸呑(の)みする能カ」 を持っている人々は、会社に入って仕事を覚える際にも 「呑み込みが速い」 と考えられるからです。

  また、疑うということをせず、ひたすら知識を詰め込むことばかりをやってきた人々は、反論するとか自己主張するとかいうことは一切なく、実に素直に会社の指示に従うのです。この点は、今日に至るまでは日本の企業にとって大変都合のよいことだったのです。というのは、日本の企業が今日までやってきたことは 「大量生産 ・ 大量販売」 であり、社内ではごく一部の人々が新製品開発や販売のためにアイディアを出したり、計画したりしてさえいれば後はその他大勢の人々が決まったことを、文句を言わずに(少なくとも社内では)迅速に実行してくれて、それで会社は利益を上げることができたからです。

    しかし、時代は確実に変わりつつあります。大量生産 ・ 大量販売の時代は終わりました。これからは、アイディアで勝負する時代であり、一人一人の社員が自分の頭で考えて仕事をしなければならない時代になったのです。企業側も、「言われたことをやるだけの 『偏差値秀才』 を採用していたのでは21世紀に生き残れない」 と言い始めています。今後は、専門的な知識や技術を持ち、かつ、時には強硬に反論するだけの主体性を持った人材が必要とされてくるのです。

  SONYは '91年に採用時に出身大学名を不問とする方針を打ち出しました。また、経団連が加盟企業を対象に行った調査の結果によると、日立製作所やトヨタ自動車など理系の 9.2%、文系の 11.9%の企業が同様の採用方式を採っています   (97年現在)。

 

2004年2月に経済同友会が発表したところによると、大卒者の新規採用時に 「出身校を不問」 としている企業は、「部分的に不問」 を含め全体の31.7%に上っています。選考で重視する項目では90.2%が 「面接結果」 を第1位に挙げ、出身校を1位とした企業は全くなかったということです。

 

  自分の個性を追求し、磨きをかけ、仕事をする上での武器にまで発展させる努カをしていない人は、それこそ21世紀に生き残るのが困難になってくるでしょう。この点に既に気がついている若者は、手に職を付けることのできない学校(大学の文科系の学部など)よりも、専門学校へ通い始めています。あるいは、とりあえず大学に入った上で専門学校へも通って、外国語 ・ ワープロ ・ コンピュー 夕一 ・ 公認会計士などのコースを受講するという、いわゆるダブル ・ スクール族になったりしています(教育白書によると大学3年生の3割近くがダブル ・ スクール族であるということです)。

 

* 上記は2000年以前の状況です。2000年以降、専門学校のような授業(資格を取るための授業)が大学内で受講できる場合も増えてきています。

 

    映画 「クレイマー ・ クレイマー」 の中で、勤めていた広告会社をクビになったダスティン ・ ホフマンが別の広告会社へ自分を売り込みに行ったシーンは日本人には印象的に感じられます。彼は過去に自分が手がけた作品を持って面接に行き、「これらは全て私が作ったものです」 と懸命に自分を売り込み、ついにその日のうちに採用が決定しました(ただし、給料は前の会社に比べてダウンだったようでしたが…)。

  もちろん、実際のアメリカ人の転職(転社)がすべてあのように行われる訳ではないでしょう。しかし確実に言えることは、手に職がない人、つまり企業に自分を売り込む際に 「材料」 (セールス・ポイント)になるものがない人は再就職や転職の際に非常に不利であるということです。 

    逆に、有能な人はどんどんより良い条件の所へ移っていくことができるようになるのです。あるいは、「もっと給料を上げてください。そうして頂けないのなら他社へ行きます」 と会社に言うことによって待遇改善を要求することもできます。

    結局、仕事をするということはすべて 「個人営業」 をするということです。つまり、社会人は一人一人が 「個人事業主」 として存在し、その個人事業主が企業と契約して事業を遂行してゆくというのが真の自由社会なのです。

    「自分は主体的に働いていない」 とか 「もっと気持ちよく働きたい」 とか 「21世紀に生き残る人材でありたい」 と思う社会人は、手に職をつけるべく、すなわち専門的な能カを身につけるべく努カしなければなりません。そのためには、会社を辞めてビジネス ・ スクールや大学へ通うといったような思い切った決断が必要な場合もあるでしょう。

    現在では、日本の企業の側でさえ社員に対して 「スペシャリストになれ」 とか 「自分の能力で仕事ができるようになれ」 などと言っています(仕事をする能カを身につけるためのこのような努力は 「自己啓発」 と呼ぶようです。もっとも、大慌てでドロナワ式のあるいは付け焼き刃の英会話やコンピューターを会社から言われてから始めているようでは自己啓発とは言えませんが)。

    企業側がこのようなことを言い始めたのは、将来にやむを得ず 「解雇」 を始める時、一人一人の社員が手に職を持っていれば解雇し易いからだという穿(うが)った見方もできますが、それ以上に日本の企業は 一人一人の社員が実力を持ってくれないと会社が21世紀に生き残れないと考えているからです。

    自分の身につけた能力を駆使して主体的に働いている人は、仕事に対して満足感や充実感が生まれ、気持ちよく働くことができます。 また、実力のある人は、上司に気に入ってもらうために無理してゴルフやカラオケに付き合う必要もありません。そんなことをしなくても、どんどん責任ある地位に実力で上がって行けるからです。これからの時代に出世したい人は、退勤後はカラオケではなく勉強をしなければなりません。それは仕事をする上での実カを養成する時間なのです。

    21世紀を生きる人々は、「会社の言うとおりにしろ、そうすれば定年まで面倒を見てやる」 と言われて喜んだり安心したりするような人間であってはならず、むしろ 「君のやりたいようにやりたまえ、 その代わり失敗したらクビだよ」 と言われるような状況の中で仕事ができるような人間にならなければなりません。また、経営者もそういった経営を行えるような有能な人材を得なければならないのです。 

    今、日本は転換期を迎えています。私たちがこれまで通りの生き方を続けていたのでは、楽しい人生を歩めなくなりつつあります。私たちはそのことに早く気付いて、新しい時代に適した生き方を選択しなければなりません。社会人として何年も働いてきた人にとってそれが意味することは、自分が今日に至るまで持ち続けてきた考え方(人生観)はもはや時代遅れであると認め、新しく生活をやり 直すことであり、そこには大変な勇気と苦痛に耐えうるタフな精神が要求されます。しかし、これからの日本人にとって、この苦痛は避けられないものになってゆくのです。

 

               ちょっとした勇気がないばかりに、

             毎日、多くの天才がうずもれてゆく。

 

    漫画家の赤塚不二夫さんが16か17歳の頃、読んでいた本の中にこんな言葉があったそうです。赤塚さんはこの言葉によって奮起し、 漫画家になるための挑戦を決意したということです。

    私たちは自分の才能に早々と見切りをつけてはいけません。これまでにあまりチャレンジをしていない人は特にそうです。自分らしく生きるためにはチャレンジ精神が不可欠です。

 

……アメリカ人が、セールスマンなり、会計専門家なり、 トラック運転手なり、ボイラー工なり、自分をある特定の技能の持ち主とみなし、その技能を一番高く買ってくれる雇用者に喜んで売るのに対し、日本人は自分を三井物産なり、三菱重工なり、ある特定企業の恒久的な一員とみなすかたむきが強い……。 

( ライシャワー 『 ザ・ジャパニーズ 』 )

 

人間にとって最も幸福なのは、自分の業(わざ)によって楽しみを得ることだと私は悟った。       

( 旧約聖書 ・ コヘレトの言葉 )

 

自分自身に命令することのできない者は、ひとに服従することになる。                      

( 二一チェ 『 ツァラトウストラはこう言った 』 )

 

 

        こころよく

        我にはたらく仕事あれ

        それを仕遂げて死なむと思ふ

                   ( 石川啄木 )

 

 

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