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10 ユーモアについて
私たちが楽しく生きていくためにユーモアは不可欠です。私たちは心にゆとりがなければ冗談を言うこともできませんし、人の言った冗談を笑うこともできません。ユーモアのセンスというのはその人の
“心のゆとり度” を示すバロメーターです。
アメリカのレーガン元大統領は狙撃され病院にかつぎ込まれたときでさえ、医師に向かって
「君は共和党員なんだろうね」
と言うだけの余裕を持っていました。
また逆に、私たちは笑うことによって肩の力を抜くことができ、あるいは気を楽にすることができるということもあります。笑いは私たちから余分な緊張を取り除いてくれるのです。悲壮感の漂うような状況においてさえ、ちょっとした笑いによって私たちは救われたりします。
アメリカで以前あった話です。自殺志願者がビルの上から今にも飛び降りようとしていました。下にいた人たちがそれに気付き大騒ぎとなり、ついにテレビ・カメラまでがやって来ました。ちょうどその時、プロ・ボクサーだったモハメド・アリがそこを通りかかりました。アリは自殺を思いとどまらせるために隣のビルに上がり、志願者に話しかけ始めました。
しばらくの間アリは話しかけましたが、彼の言った言葉の中にこんなジョークがありました。「一つだけ君に感心していることがある。君はわずか数十分の間に、無名の一市民から全米に知られる有名人になったことだ」。
結局、その自殺志願者は自殺を思いとどまりました。アリの言ったどの言葉が直接的な効果をもったのかは定かではありませんが、思い詰めていた心理状態を緊張感から解放するのにこのジョークが十分効いたものと思われます。
また、今にもビルから飛び降りようとしている人に対して、ジョークを言うだけの余裕を心に持っていたアリも大したものです。こんな時にジョークを言える日本人がどれほどいるでしょうか。
アメリカにはまた、こんな話もあります。ある人が医者から癌
(がん)
の告知を受け、あと半年の命だと言われました。その人は、残り少ない人生の日々をどうせなら笑って過ごしたいと考え、世界中の爆笑コメディーのビデオを買いあさり、来る日も来る日もビデオを見ながら笑って過ごしていました。ところが、半年を大きく過ぎてもその人には一向に死の訪れる気配がありません。病院に行き再び診察してもらったところ、なんと癌細胞はあとかたもなく消えていたというのです。
これには、ある程度医学的な根拠が在ります。3時間ほど喜劇を観て大いに笑った人の血液検査をすると、喜劇を観る前の検査結果に比ベ、癌に対する免疫カが上昇しているということが判っています。また、癌と告知されて絶望してしまった人と、絶望せず癌と闘おうとする人とでは、たとえ最終的には死ぬにしても、死に至るまでの時間に大差があることも判っています。
人間に対する洞察の深い人ほど、苦しいときほどユーモア
(笑い)
が大切だということをよく知っていて、辛い時がおとずれると、おもしろいことを思いついて笑って元気になろうとするようです。
ドイツのよく知られたユーモアの定義は
「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」
というものです。この世の不条理や人間の悲しさを知った上で、にもかかわらず笑う。それがユーモアだということなのです。
アメリカの作家、マーク ・ トゥエインは
「真のユーモアの源泉は哀愁である」 と述べましたし、スヌーピーを描いている漫画家のチャールズ
・ M ・ シュルツさん*も、「幸福な状態の時ユ一モアは生まれない」
と言っています。
* Charles M . Schulz ( 1922−2000 )
2000年2月12日に亡くなられました。
また、ポーランドの大統領だったワレサ(ヴァウェンサ)氏は、かつての共産党政府と闘争していたころ、「苦しい時こそユーモアが必要だ」
と述べました。
ユダヤ人はノーベル賞を最も多く受賞している優秀な民族ですが、優秀な民族というのは、やはりジョーク
(小話)
を作るのもうまい民族ということであり、ユダヤ民族は “ジョークの民”
と呼ばれる場合があるほどです。“wit” という語には
「機知」 と 「知恵」
の両方の意味がありますが、笑いを大切にする心は一つの知性なのです。
ユダヤ人のジョークの例を一つ挙げましょう。
ユダヤ人の男が臨終を迎えていた。死の床に家族が集まった。男はだんだん遠くなる意識の中で家族一人一人に呼びかけた。
「妻よ、ここにいるのか?」
「はい、おります」
「息子よ、いるのか?」
「ここにいるよ、父さん」
「エスターはいるのか?」
「はい、家族みんなここにおります、お父さま」
家族がそう答えると男は言った。
「では、いったい誰が店の番をしているのだね?」
ユダヤ人のジョークの特徴は、ユダヤ人自らをからかったり自虐的に笑いとばしてしまう点です。ユダヤ人も日本人同様に商売においてがめつい民族ということになっているのですが、このジョークはそんな自分たちをからかうものになっています。
精神分析学者で自らがユダヤ人のフロイトは、「他の民族の場合にも、これほどまでに自分の存在を笑い草にすることがあるのかどうか私は知らない」
と述べたということです。
国を追われ、差別され、大虐殺をも経験したユダヤ民族は、たくましく生きるための知恵としてジョークのセンスを身につけたようです。彼
(女)
らはナチスにとらえられて強制収容所に入れられてからでさえ、元気を出すために必死になってジョークを考えていたと言われます。
あなた自身を笑うことを学ベ!
当然のこととして笑うことを!
( 二一チェ 『
ツァラトゥストラはこう言った 』 )
ユダヤ人の間に限らず、戦時中には多くのユーモアが生まれました。
日本がシンガポールを占領し、在留のイギリス軍が撤退せざるを得なくなったのを見た市民が、「どうした!
イギリス兵一人は日本兵十人に匹敵すると自慢してたじゃないか」
と言うと、イギリス兵は
「いやなに、日本兵が十一人来ちまったんでな」
としゃあしゃあ言ってのけたということです。
また、日本でも 「ぜいたくは敵だ」
の貼り紙に一文字つけ加えて、 「ぜいたくは素敵だ」
に書き替えたり、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」 の
「工」 の字を消して、「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」
にしたりするユーモアが見られました。
「……夫が足らぬ」
に似た話がイギリスにもあります。戦後、戦争で夫を失った女性が社会に数多く存在していた頃、バスの中に書かれていた
“Don’t lean against windows.”
(窓にもたれないでください) という言葉の中にある “windows”(窓)
の “n” を消して “widows” (未亡人) にして
「未亡人にもたれないでください」
という言葉に書き替えた人がいたということです
(もっとも、これはユーモアと言うよりぺ一ソス 《哀愁》
と言うべきものでしょう)。
戦争中でなくともユーモアは生まれますし、また日ごろから大切にすべきものでもあります。笑いを最も大切にしている民族は、ジョークを作ることに関して秀逸なユダヤ民族であると思われますが、ロナルド・レーガンやモハメド
・
アリの例が示すようにアメリカ国民もユダヤ民族に勝るとも劣らないユーモアのセンスをもっています。
サンフランシスコの公立図書館には
「ジョーク」
のコーナーが設けてあって、そこには1万7千冊にもおよぶ、おそらく世界にも他に例を見ないほどのジョークの本があるということです。また、テレビで放映されていましたが、アイダホ州のポカテロ市の条例には
「笑顔法」
というのがあって、市民はいつも笑顔でいなければならず、しかめっ面で歩いていると逮捕されるということです。もちろん、この条例自体がジョークであり、(もしかすると、あの番組そのものがジョークだったのかも知れませんが)
とりあえず愉快な話です。
アメリカでは、企業の幹部が入社志願者の面接をする際などに、精神衛生度をチェックする方法としてユーモアのセンスがあるかどうかに注目すればよいと言う人もいます。
ミュージカル 「野郎共と女たち」
の原作者、デーモン・ラニアンは新聞記者をした経験もありました。新聞社に就職するために面接を受けた日、彼が新聞社の応接室で待っていると、応対に出た人が彼に、「ボスはあなたの名刺をいただきたいそうです」
と言いました。ラニアンは有名になってからも名刺など持たなかった人です。しかし、彼はそのとき尻のポケットにトランプを持っていました。
彼は慎重にスペードのエースを引き抜くと、「こいつをわたしてくれ!」
と言いました。そのあとで行われた面接の結果、彼は採用になったばかりでなく、昼食までご馳走してもらったということです
( ベネット・サーフ著 『 ちょっと笑える話 』 〈
文春文庫 〉より )。
ユーモアのセンスがあると就職の面接だけでなく、商談の際にも有利なようです。、次の話は、アメリカではなくカナダでの話ですが
……。
日本の製紙会社の社長が、カナダのパルプ会社の社長と商談を交わした時のことです。日本の社長は懸命に英会話を練習していた人物で、「英語の重要表現」
を多く覚えていました。さて、商談の場でカナダの社長が
「はるばる日本からようこそ。昨夜はよく眠れましたか」
と (もちろん英語で) 尋ねてきました。日本の社長は
「はい、ぐっすりと」 と答えようと、さっそく “暗唱例文”
を一つ使いました。“Yes,I slept like a log.”
[ 日本語では深く眠りこんでしまうことを “死んだように眠る”
などと言いますが、 英語では “丸太 ( log )
のように眠る” と言います 。]
言ったとたんにカナダの社長は吹き出してしまいました。彼はパルプ会社の社長であり、丸太を取り扱うのが仕事だったのですから。
もっとも、日本の社長はそこまで計算して言ったわけではなく、
偶然ユーモラスな答えになったのでしょう。それはともかくカナダの社長はこのジョーク(?)にすっかり気をよくしてしまい、商談はとんとん拍子に進んだということです。
海外の人々はパーティーなどでも、参加者は各自とっておきのジョークを聞かせて他の人を笑わせたり、互いに自分の趣味や最近見た映画や読んだ本の話をしています。そんな場に招かれた日本人が仕事の話しかできないと、ユーモアもないし趣味も持っていないし金儲けにしか興味がないらしいと思われてしまうのです。
日本人のパーティー (宴会)
は会社単位で行われる場合が多く、カラオケが中心で、ジョークなどの楽しい語らいはあまり行われず、新しい人との出会いを楽しむ場でもありません。元駐日大使のライシャワー氏が、著書
『 ザ ・ ジャパニーズ 』 の中で
「日本人の会話には沈黙が多い」
と指摘していましたが、アピールできるだけの自分を持っていない日本人は、パーティーではカラオケでもやらない限り間がもたないのです。日本人にとって、カラオケなしで楽しく弾む会話を続けることは非常に難しく、会話はとぎれがちとなり、しばしば沈黙がおとずれるのです。
就職活動や商談の際、職業上の知識が必要であることは言うまでもありませんが、ユーモアのセンスも必要なのではないでしょうか。少なくとも付け焼き刃の英会話学習をしている人や、面接官の質問に対してマニュアル通りの答え方しかできない人よりも、表現できるだけの個性ある自分を持っていてユーモアのセンスのある人の方が有利です。
パーティーに限らずアメリカ人は、日常生活においても互いに見知らぬ者同士がまるで知り合いであるかのように気軽に声をかけあい、初対面の人と打ち解けるのにそれほど時間がかかりません。近所に住む一人暮らしのお年奇りが散歩などをしているのを見かけたら、“ハーイ”
と気軽に声をかけてあげることが提唱されている町もあると聞きます。孤独なお年寄りにとっては、それだけでも大いに気が晴れるのです。
あるいは、アメリカ人はいざとなったら集団で行動することにおいて、日本人はとうてい及ばないほどの結束カを発揮します。移民の国であるがゆえに、互いに理解し合い共存するための努カを、彼(女)らは建国以来続けてきたのであり、そこにもユーモアが必要だったのでしょう。またそういう経緯から、おおらかでユーモアのセンスのある国民性も生まれたのでしょう。
日本には 「人を見たら泥棒と思え」
という格言があります。日本で見知らぬ人に親しげに話しかけてくる人は、悪質なキャッチ・セールスをやっている人であったりする場合が多いので、なかなか気軽に応じることはできません。したがって、日本人は初対面の人と打ち解けるのに時間がかかります。
「人を見たら泥棒と思え」
と言いますが、「渡る世間に鬼はなし」
とも言います。 私たち日本人は、パソコン通信だのファクシミリ*だのという前に、普段の市民生活においてお互いに新しい出会いを喜び合い、初対面の人にでももっと気楽に話しかけることができる人間になるべきではないでしょうか。
* 筆者がこの文章を書籍で出版しようと執筆していたころ
(1990年代前半) は、まだ 「E メール」 とか
「インターネット」
という呼び方は一般的ではなく、「パソコン通信」
などと呼んでいました。また、携帯電話も今ほど普及しておらず、ましてや
「出会い系サイト」
なるものが存在していなかったことは言うまでもありません。
アメリカ人のように、すぐにお互いをファースト・ネームで呼び合うような関係になるという訳にはいかないかも知れませんが、一人暮らしのお年寄りに声をかけることもなく、近所の子どもが非行に走っているのに見て見ぬふりをしていたり、「親しげに話しかけてくる人は悪質なセールス・マンくらいなもの」
という状態がこのままで良いはずもありません。あるいは、私たちが初対面の人と打ち解けるまでに必要な、あの時間の長さもどうにかしたいものです。
日本語の 「挨拶(あいさつ)」
という語はもともと禅の言葉で、「(相手の弱点に)
鋭く迫る」 という意味でした ( 「挨」 と 「拶」
の両方とも 「迫る」
という意味を持っています)。もちろん、私たちは初対面の人にいきなり
「鋭く迫る」
必要はありませんが、できるだけすぐに腹を割って話すようになるべきでしょう。
未知の人と出会い、友人になることは人間にとって大いなる喜びの一つです。そのような時に、ユーモアは友好の促進剤になるのです。
心に我慢あるときは愛敬を失う (武田信玄)
「笑って……もう一度笑って……。このお屋敷は、あなたの笑顔に飢えている……。」
(
映画 「わが恋は終わりぬ」 より )
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