快感原則論 ― 楽しく生きる ―
目次
I 「楽しさ」とは何か
1 「遊び」
2 「空間」としての「遊び」
3 「演劇」としての「遊び」
4 「知的遊戯」
5 「祭」
6 「笑い」
7 自由についてII なぜ今の日本では楽しく生きるのが難しいのか
1 労働時間
2 終身雇用
3 人生を楽しまないことに慣れてしまった日本人
III 楽しく生きるにはどうしたらよいのか
1 主体的に生きる
2 主体的に生きるために個性を生かす ・ 個性を知る
3 職業の試行錯誤 ― 転職について
4 自由教育
( i ) 主体性と個性をもたせる教育
( ii ) 「自由の意義」の教育
( iii ) 日本の自由の発展のために
( iv ) 自己主張することと「多事争論」の教育
5 マス・メディア
6 「年功序列社会」 と若者
7 感性による行動
8 芸術、特に音楽について
9 スポーツについて
10 ユーモアについて
11 「生」 を楽しむ ・ 「今」 を楽しむ
おわりに
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III − 3 職業の試行錯誤
―― 転職について (*「年齢差別」 の問題)
私たちが 「プロフェッショナル」 としていい仕事をするためには、 自分に最も適した職業に就いて、何の迷いもなく働いていなければなりません。もし心の中に 「自分にとってこの仕事は本当に最適なのだろうか」 という気持ちがほんの少しでもあれば、それは既に 「迷い」 が生じているのであり、その精神状態では集中力も生まれず、いい仕事はできません。そのような迷いを心から取り除くには、やはり職業も試行錯誤してみること、すなわち転職してみることが必要となってくるでしょう。
ある調査によれば、「自分の仕事に大いなる誇りをもっている」 と答えた人の割合はアメリカ人では 84%あったのに対し、日本人では 37%しかなかったということです。どうしてこのような差が生じてしまうのでしょうか。
その理由の一つには、前述のように ( 主体的に生きる の項をご参照ください)、アメリカ人の就職に対する考え方が、手に職をつけ、自分をある特定の技能の持ち主と見なし、その技能を一番高く買ってくれる雇用者に売るという積極的なものであるということが挙げられるでしょう。
第二の理由として、日本人と比較して、アメリカ人には転職 (転社) を行う機会が多いということが挙げられるでしょう。つまり、試行錯誤の末に選んだ職業 (会社) であればこそ迷いもなく誇りをもって働くことができるのです。
アメリカ人の生涯における転職 (転社)の回数は平均で6回で、また、多くの人が少なくとも3回の転職 (転社) を経験しているということです。 日本でも、「終身雇用」 が少しずつ崩れ始め、転職する人が増えつつあるのは前述の通りです。
いったん就職したら定年までそこで働くしかないというのでは、よほどその仕事が自分に適している人でない限り、迷いを持たず、大いなる誇りをもって働くことなど不可能でしょう。
自分に合う職が見つからないと言って、職を転々とする若者の状態を大人たちは 「青い鳥症候群」 などと呼んで非難します。確かに、単なる仕事嫌いや飽きっぽいとかの理由で職を転々とするのは褒(ほ)められたことではありませんが、手に職を持った上で、最も自分のカを発揮できる職場を見つけるために試行錯誤することは決して間違いではありません。少なくとも、「終身雇用」 に甘え、たいして仕事をしていないのに給料をもらっている中高年サラリーマンには、若者を非難する資格はありません。
合衆国の元大統領 ・ ロナルド=レーガンは元々はスポーツ番組のアナウンサーでした。それからハリウッドで俳優になり、次に政界に入りカリフォルニア州知事を経験した後、大統領となりました。彼の指導者としての評価はともかく、ロナルド=レーガンという人物が、合衆国の多くの国民に好かれた魅力的な人物であったことは確かです。 また、イギリスで首相だったマーガレット=サッチャーは、オックスフォード大学で化学を専攻していたという変わった経歴の持ち主です。
政治家に限らず、欧米人には 「大いなる誇りをもって」 仕事をする、魅カ的な人物が多く存在するのに、日本人には政治家にもその他の国民にも魅カがありません。今日までの日本の社会が、職業の試行錯誤を許さない不自由な社会であったことが、このことに大きく影響していると思われます。また、自分の仕事に誇りをもてないほど不幸なことはないでしょう。日本人の80%以上が 「自分の仕事に大いに誇りをもっている」 と答える日はいつ来るのでしょうか。
前述のように ( 終身雇用 の項をご参照ください )、徐々に崩れつつあるとは言え、日本の企業の多くが尚も新人の採用時に 「年齢制限」 を設けています。このため、日本には転職したいのに年齢制限に阻 (はば) まれてできない人が多く存在します。
阪神タイガースの選手だったラインバックさんが、コンピューター技師の資格を取得してソフトウェアの会社に入社したことは前にも述べましたが、アメリカには 「年齢差別禁止法」 という法律があります。企業や官庁が、少なくとも年齢を理由に雇用を断るということはできないのです。能カを身につけていれば、仕事を得るチャンスがあらゆる年齢の人に平等に与えられるべきだという考えがアメリカにはあるのです。
また、日本国憲法 ・ 第22条にも次のように書かれています。
何人も、公共の福祉に反しない限り、 住居、移転及び職業選択の自由を有する。 (以下略)
憲法において、このように職業選択の自由が保障されているにもかかわらず、日本では堂々と企業 ・ 官庁が新人採用時に年齢制限を設けています。いったい、企業や官庁にはどんな権限があって年齢制限を設けることができるというのでしょう。これは年齢制限ではなく、「年齢差別」 です。
この点については、国民が 「終身雇用」 を当然のこととして考え、今まで異議申し立てをしなかったので何ら問題にされず、今日まで続いてきたという側面もあります。転職したいのに年齢制限に阻まれている人々は、差別であるとして訴訟を起こすべきです。そうすれば裁判所は違憲判決を出さざるを得ないのではないでしょうか( 「年齢制限」 は、すべての国民の法の下での平等を定めた憲法第14条にも違反していると考えられます)。
それとも裁判所は、「憲法第22条は 『公共の福祉に反しない限り』 と言っており、終身雇用は 『公共の福祉』 に寄与していると考えられるので、それに付随する年齢制限の存在自体は違憲であるとは言えない」 などといった判断をするのでしょうか。そんな判断を下す裁判官がいたら、あまりにも社会を知らないとしか言いようがありません。前述のように( 終身雇用 の項をご参照ください )、「終身雇用」 (年齢制限の存在) こそが 「公共の福祉」 に反しているのです。
* 安倍晋三氏が首相就任当時に大きく掲げた公約は、「再チャレンジ」 のできる社会の実現だった。確かに、2007年に雇用対策法が改正され、事業主による募集・採用の際の年齢制限は禁止になったが、禁止したところで中高年の応募者を断る方法はいくらでもある。年齢を理由に断りたいのが本音でも、他の理由に変えるのは容易である。一旦、書類審査や面接のチャンスを与えた上で、「多くの優秀な人材に応募いただいたため、大変な競争となりました。選考は難航いたしましたが、他の応募者を採用することにいたしましたので…」 と言えば済むことだ。日本には数多くの悪徳企業が存在する ―― 賞味期限切れの商品を偽る、食材を偽って販売する、残業代を払わない・・・こうした悪徳企業にとって、この程度の抜け道を考えるのは朝飯前だ。
2007年の法改正で、これまで努力義務だった年齢制限の撤廃は一部例外を除き義務化されたが、公務員採用には依然として適用されない。その理由についての厚生労働省の見解は笑止千万である。以下は北海道新聞・電子版からの引用である。
(公務員の採用に年齢制限が撤廃されない)理由は、国家公務員法に人種や性別などによる差別を禁ずる「平等取扱義務」があるからという。改正案を作った厚生労働省が 「合理性のない差別を禁止する法的枠組みはすでにある」 (雇用政策課) と判断したのだ。
ところが、たとえば国家公務員1種の採用資格は、二十一歳以上三十三歳未満となっている。地方でも、道の上級試験資格の 「三十歳以下」 をはじめ、道内ほとんどの自治体で上限年齢がある。
道人事委員会は 「計画的な人材育成や職員の年齢構成のバランスへの影響など課題が多い」 と年齢制限の意義を説明する。
同省も 「長期勤続で経験を積ませるための若年者募集は、改正法でも例外で年齢制限を認めている」 と問題視していない・・・。
(2007年10月17日16時31分配信の記事より)
「計画的な人材育成や職員の年齢構成のバランスへの影響など課題が多い」 とか、「長期勤続で経験を積ませるための若年者募集は、改正法でも例外で年齢制限を認めている」 などという言い訳が許されるのなら、これまで終身雇用を続けてきた日本の企業の大半がこうした言い訳を使うだろうし、実際に多くの企業がこの言い訳を使って年齢差別を続けていると思われる。終身雇用が崩れ、中高年になって職を失う人の激増している昨今においては、こうした言い訳は合理性を欠く。中高年者を解雇することが許されるのなら、新しく採用されるチャンスも若い人々と同様に与えられなければならない ―― これが 「合理性」 というものだ。現在の日本において、「年齢制限」 は 『合理性のない差別』 である。民間企業に対しては差別であるとして年齢制限の撤廃を義務化しておきながら、公務員は自分たちの場合は 「合理性」 があるので差別ではないと主張しているのだ。これは、民間から応募してきた有能な中高年者を次々に採用していたら自分たちの立場が危うくなるので、それを恐れてのこと、すなわち、自らの保身のためだと言われても仕方がないだろう。公務員には、「公務員に解雇はない、あってはならない」 という前提があるようだが、その前提がそもそもおかしい。能力のない人を雇い続け、税金から給料を支払い続ける義務など国家にはない、あってはならない。
首相就任当時、安倍晋三氏は 「再チャレンジ、再チャレンジ」 と随分威勢がよかったが、以上が彼の言う 「再チャレンジ」 の実態である。大山鳴動して鼠一匹。雇用対策法は 「ざる法」 である。今後も中高年者に対する年齢差別は是正されないであろう。
アメリカの企業・学校が新しく人を採用したり、入学させたりするときには、“アファーマティブ・アクション” という法律により、ヨーロッパ系(白人)以外の人種を一定の割合で必ず採らなければならないことになっている。この法律を巡っては激しい論争が延々と続いているが、撤廃の動きはない。この法律のために、逆に有能な白人が採用・入学の機会を奪われるということも発生し、白人に対する逆差別だという批判がある。実際にあったことだが、ミシガン大学に願書を出したものの入学許可をもらえなかった白人の志願者が、アファーマティブ・アクションは逆差別を生じさせていると訴訟を起こしたが、敗訴している。
中高年の人々を一定の割合で必ず採用するという “日本版アファーマティブ・アクション” がない限り、「再チャレンジ」 のできる社会は実現しないと自分は考える。≫もっと詳しく
日本も自由主義国ということになっています。しかし、この国では職業選択の自由が保障されているとは言えず、これでは自由主義とは言えないのです。
不幸にして会社が倒産し、職を失った人に対し日本人は 「『人間到る処青山あり』 ですよ」 などと言ったりします。今後、私たちはこの国を、その言葉が本当にカをもつような国に、すなわち何歳の人にもチャンスのある国にしなければならないのです。前章で観たように、「終身雇用」 は一時的現象でしかありません。そして、それは既に崩れつつあり、このまま国民の力でどんどん崩してゆくべきなのです。そうすることによって、私たちは 「終身雇用」 に奪われた十の自由を取り戻さなければならないのです。
受験競争の緩和 ( 終身雇用 のページの中の 「D 受験競争を・・・」の項をご参照ください) については、入試のやり方を変えると同時に日本の社会の仕組みが変わらなければなりません。それは 「教育問題」 ではなく 「社会問題」 なのであり、必要なことは 「教育改革」 ではなく 「社会改革」 なのです。
転職の話に戻りますが、苦労して転職した人々の経験談を聞きますと、転職は収入のダウンの場合も多いようですが、個性や自分が身につけた能力を活かして仕事をする喜びは、お金には代えがたいものがあるということです。また、若いうちの転職なら必ずしも収入がダウンするとは限らないというデータもあります。やりがいがあって、収入アップとなれば、それはもうこの上なく幸せなことでしょう。
こころよく働いていない人は、自問自答してみることが必要です。すなわち、「自分は社会において、本当に自分がつくべきポジションについているのだろうか?」、「自分は社会という 『劇場』 で、本当の 『はまり役』 を演じているのだろうか?」、「自分は誇りをもって今の仕事をしているだろうか?」 と問いかけてみることが必要なのです。
今の君は
何故今の君か?
自分で
そうなりたかったからなのか?
よく考えて欲しい。
もしかしたら君は
どこか他のところに
いるべきかもしれないのだ。
きっとまだ
遅すぎはしないだろう
君がいまどこにいるべきか
またそこにはどうやったら行けるかを
見つけ出すことは。
( 『 アメリカの心 』 ―― 全米を動かした75のメッセージ ―― より )
* ナイティンゲールが念願の看護婦になったのは30歳になってからであった。考古学者シュリーマンは、もともとは商人であったが、40歳を過ぎてから考古学の世界に入り、トロイアの遺跡の発見などの偉業を成し遂げた。30歳を過ぎようが40歳を過ぎようが夢をかなえたい人にはチャンスが与えられなければならない。チャンスが与えられれば夢をかなえることは不可能ではない。