快感原則論 ― 楽しく生きる ―                                   

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目次

はじめに  − 楽しく生きるために −

  I 「楽しさ」とは何か
  
1 「遊び」
  2 「空間」としての「遊び」
  3 「演劇」としての「遊び」
  4 「知的遊戯」
  5 「祭」
  6 「笑い」
  7 自由について

 II なぜ今の日本では楽しく生きるのが難しいのか
  
1 労働時間
  2 終身雇用
  3 人生を楽しまないことに慣れてしまった日本人

 
III 楽しく生きるにはどうしたらよいのか
  
1 主体的に生きる
  2 主体的に生きるために個性を生かす ・ 個性を知る
  3 職業の試行錯誤 ― 転職について
  4 自由教育
   ( i )  主体性と個性をもたせる教育
   ( ii ) 「自由の意義」の教育
   ( iii ) 日本の自由の発展のために
   ( iv ) 自己主張することと「多事争論」の教育
  5 マス・メディア
  6 「年功序列社会」 と若者
  7 感性による行動
  8 芸術、特に音楽について
  9 スポーツについて
  10 ユーモアについて
  11 「生」 を楽しむ ・ 「今」 を楽しむ

 
おわりに
  主要参考・引用文献

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  III ― 5  マス ・ メディア


  自由社会建設のために、マス・メディア (新聞、テレビなど) はどうあるべきなのでしょうか。「裁判所が憲法の番人」 ならマス・メディアは 「民主制の番人」 です。 言論の自由をフルに活用し、多種多様な報道を行い、さまざまな情報を市民に提供して、市民が政府を監視する際の手助けや、市民が社会に対して働きかける際の手助けをするのがマス・メディアの役割です。

    マス・メディアには 「オピニオン・リーダー」 としての役割もあります。つまり、ただ起こった事件を報道するだけでなく 「社説」 などを通して多様な意見を読者 ・ 視聴者に提供する使命もあるのです( かつては、この 「オピニオン・リーダー」 のことを 「木鐸 (ぼくたく)」 と言いました)。

    前述のように、自由や民主制を発展させるのは多種多様な意見の存在です。また、「言論の自由」 は民主制の基本的な条件の一つです。多種多様な意見の存在、あるいは 「多事争論」 が行われている度合いが、民主制がうまく機能しているかどうかの度合いとなります。

    この意味で、新聞各紙やテレビ各局の報道が似かよっているというのは危険なことです。新聞の社説などの意見はもちろん、起こったことを伝える際にも個性ある伝え方、あるいは固有の立場 ・ 切り口による報道を、各マス・メディアが行うことが必要です。

    かつて、フランスの 「ル・モンド」 紙が発行部数を大いに伸ばしつつあった頃、社長が全ての記者の前で、「諸君、わが社は経営危機に瀕した。個性が失われているのだ」 と訓示したと言われます。 ―― 日本のマス・メディアは、個性を重視するこのような態度を見習わなければならないでしょう。

    各メディアが個性ある存在であるためには、各記者 ・ レポーターが個性を持ち、個性ある報道をしなければなりません。

    日本の新聞は、明治から昭和にかけての軍国主義に対して歯止めをかけることができなかったという汚点をその歴史に残しています。前述のように、個性を持たずに生きる人は権カに支配されやすいのですから、 マス・メディアに携わる人々が真に 「民主制の番人」 として権力に支配されない人間であるためには、特に個性を大切にしなければな りません。

   アメリカの新聞記事は、どんな記事も書いた記者の署名入りです。また、アメリカのテレビのレポーターなどはかなり個性ある報道をしています。 日本においても各記者・ レポーターは、独断だとか偏見だとかの批判を恐れず個性ある伝え方をするべきです。

    さまざまな個性ある記者 ・ レポーターがそれぞれの視点から個性ある報道を行うことにより、結果としてバランスのとれた報道が実現し、また、健康的な民主社会のサインである 「多事争論」 も実現するのです。

   もちろん、市民もマス・メディアを厳しい目で監視しなければなりません。署名が入っている記事や、「自分」 を前面に出すレポーターの報道は読者 ・ 視聴者も 「この報道は、この記者 (レポーター) の固有の見解である」 として接し、そのまま鵜呑 (うの) みにしてはなりません。

 

  

    市民は、いろいろな新聞やテレビの報道番組を見てそれらを比較検討し、どのマス・メディアが 「民主制の番人」 としての役割を果たしていて、どれが果たしていないかを厳しい眼でチェックしていなければなりません。

    日本では新聞配達のサービスがありますが、配達のサービスに頼ってしまうと、(二紙以上配達してもらっている人はともかく) どうしても一紙のみしか読まなくなり、いろいろな新聞を読んで厳しく比較検討することをしなくなってしまいます。これは新聞と読者の馴(な)れ合いです。

    アメリカでは新聞配達のサービスは原則としてありません(*注)。毎日、読者は店や販売機に買いに行きます(もちろん、多くの店が新聞を販売し、また、街にはあちこちに販売機があります)。したがって、読者が昨日は紙、今日は紙というようにいろいろと読み比べることが常に可能です。

    そしてその結果、「民主制の番人」 としての役割を果たしていないと判断された新聞はどんどん売り上げが落ちてゆきます。それゆえ、どの新聞も市民生活に役立ち、民主社会の発展に貢献する紙面作りに努力します。

    今後、日本の新聞と読者の関係も、馴れ合いのない厳しいものにする必要があります。「新聞なんてどれを読んでも似たようなものなのだから、比較検討する必要などなく、どれか一紙を配達してもらえばよい」 と考える人が多いのが日本の現状でしょう。しかし、「どれを読んでも似たようなもの」 という現状こそが、民主制の健康的状態でないことは言うまでもありません。

 

*注 この点につきましては取材不足でした。アメリカでも購読される新聞の約割は宅配サービスによるものです(20081025日のワシントンポスト電子版の記事による)。お詫びして訂正いたします。

  ワシントンポストの同じ記事は、日本では95パーセントの読者が宅配サービスを利用していると報じています。日本では、ほとんどの読者が宅配サービスに頼っているのに対し、アメリカでは人に人以上は店や販売機で買っているとは言えます。また、アメリカでは新聞を売っている店が多いことと、街にはそこかしこに新聞の販売機があるのも確かで、複数の新聞を読み比べている人が日本よりは多いとは言えるでしょう。

 

 

 

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