快感原則論 ― 楽しく生きる ―
目次
I 「楽しさ」とは何か
1 「遊び」
2 「空間」としての「遊び」
3 「演劇」としての「遊び」
4 「知的遊戯」
5 「祭」
6 「笑い」
7 自由についてII なぜ今の日本では楽しく生きるのが難しいのか
1 労働時間
2 終身雇用
3 人生を楽しまないことに慣れてしまった日本人
III 楽しく生きるにはどうしたらよいのか
1 主体的に生きる
2 主体的に生きるために個性を生かす ・ 個性を知る
3 職業の試行錯誤 ― 転職について
4 自由教育
( i ) 主体性と個性をもたせる教育
( ii ) 「自由の意義」の教育
( iii ) 日本の自由の発展のために
( iv ) 自己主張することと「多事争論」の教育
5 マス・メディア
6 「年功序列社会」 と若者
7 感性による行動
8 芸術、特に音楽について
9 スポーツについて
10 ユーモアについて
11 「生」 を楽しむ ・ 「今」 を楽しむ
おわりに
主要参考・引用文献ご案内の内容は書籍でもお読みになれます。
ご注文いただければ郵送いたします。
書籍のご案内を御覧ください。II − 2 終身雇用
* 「終身雇用」 は日本人から自由を奪い、その結果、私たちが楽しく生きることを極めて困難にしています。この項では 「終身雇用」、(特にそれに伴う 「年齢差別」 ) がいかに私たちを束縛しているかについての分析を試みています。
この項の内容
○ 「終身雇用」 とは何であるか
○ 「終身雇用」 消滅の予兆
○ 「終身雇用」 が奪う10の自由
1) 自由な時間 (休暇) が増えない。
2) 転職の自由がない。 ( 再就職における年齢差別、転職についてもお読みください )
3) 市民が主体的に生きられない(すなわち自由に生きられない)。
4) 官僚と業界の癒着を生みやすく、ビジネスの世界で公正な自由競争が行われない。
5) 受験競争を必要以上に激化させ、子どもたちから自由を奪う。
6) 会社員の給料が上がらない (働いた分だけの給料をもらう自由がない)。
7) 物価が安くならない(品物を安く手に入れる自由がない)。
8) 男女雇用機会均等化が進まない(女性には、男性と同様に働く自由がない)。
9) 社会人に大学で学ぶ自由がない。
10) 「就職活動」 の負担が大きくなり、大学4年生が自由に学生生活を送ることができない。
○ 「終身雇用」 とは何であるか
企業が一旦採用した人を定年まで雇い続ける 「終身雇用」 は、 「年功序列」 ・ 「企業別組合」 などともに日本的経営の 「三種の神器」 と言われていますが、この 「終身雇用」 という雇用形態、およびそれに付随する 「年功序列」 (その会社での勤続年数の長い人から順番に昇進や昇給を行うという経営方式。終身雇用と表裏一体のもの) は国家的な、あるいは社会的な “制度” でもなければ、企業と社員の契約関係上の “制度” でもありません。日本の労働協約のどこにも 「終身雇用」 という文字は見あたらないのです。ある外国人が日本人にこんな質問をしたそうです。「日本では終身雇用だそうですが、企業に採用される新人はどんな 『終身雇用契約』 を結ぶのですか」 ―― 尋ねられた日本人が答えに困ったのは言うまでもありません。日本の企業と新人はそのような 「契約」 など一切結ぶことはなく、「原則として定年まで雇い続ける」 といったような曖昧(あいまい) な暗黙の了解があるだけなのですから。
また、日本中のすべての企業が戦後一貫して 「終身雇用」 を続けてきたわけでもありません。 だから、「終身雇用」 は “慣行” とも言えず、“特定企業の特定層の社員を対象とする一時的現象” とでも呼ぶべきものです。 “特定企業の特定層の社員” を具体的に言えば、多くの場合、“大手企業の大卒男子” を指します。それ以外の場合は日本の企業といえども 「終身雇用」 ではない場合がかなり見られるのです。
“一時的現象” とはどういうことなのかについて説明しましょう。 「終身雇用」 が出現し始めたのは、早くとも 1935 (昭和10) 年頃からです。それ以前は日本の企業が社員を解雇する率は、欧米より高かったということです。また、明治時代の日本の労働者は頻繁に勤め先を変えており、その度合いは世界の雇用史上でも最高の水準であったと言っても過言ではなかったということです ( 『日本雇用史』 《坂本藤良・著》による )。
あるいは戦前の内務省社会局 ・ 警保局 の 「職工移動調ベ」 によると、1920年代前半(大正末期)の日本の労働者の年平均離職率は 70〜80%にまで達していたということです。 新聞記者などにおいても、明治 ・ 大正時代には他社に移るということは普通に行われており、中には 「朝日」 ・ 「読売」 ・ 「毎日」 の三紙とも就労を経験した記者もいたということです。
どのようなことが契機になって 「終身雇用」 が始まったかについては、いくつかの説があります。ここでは二つを挙げておきましょ う。
- 各企業に経営をより計画的に遂行させ、戦争に備えるために、従業員の企業間での移動 (転職 ・ 転社) を制限する目的と、軍隊に召集された後で帰還した人を失業者にさせない目的で、1939(昭和14) 年に政府が採用 ・ 解雇の制限令を出したのが発端であるとするもの。
- 戦後の混乱期におけるストライキなど労使間のぎくしゃくした関係を調整してゆく中から生まれたとするもの。
確かなことは、大手企業における大卒男子を対象にした 「終身雇用」が定着したのが1960年代の高度経済成長期以降であるということです。ちなみに、「終身雇用」 という言葉が初めて使われたのは、 1958年に出版された “ The Japanese factory ” ≪ジェームズ ・ C ・ アベグレン著≫ という英語で書かれた本の中で著者が使った “permanent employment system” という言葉が、神戸大学の占部助教授 (当時) によって 「終身雇用制度」 と訳された時であったということです。
しかし、この 「終身雇用」 とそれに付随する 「年功序列」 は既に消滅しつつあります。現在現われている四つの兆候を観てみましょう。
○ 「終身雇用」 消滅の予兆
1) ポスト不足
日本の企業は現在、中高年の社員の処遇に困っています。好景気の時期に大量に採用し、現在中高年になった社員がだぶついていて、 出勤しても仕事のない人々がかなり出現しており (企業におけるこのような状態は 「過剰雇用」 と呼ばれます)、そうした人々に仕事を与えるだけでも大変なことですから、ましてや課長や部長のポス ト (役職) を与えるというのは至難のわざになっているのです。
日本の企業は 「年功序列」 ということで、先輩から順にみんな昇進できるはずだったのに、このようなことになってしまったのは 「低成長」 あるいは 「不況」 が原因です。
1980年頃までは、日本のサラリーマンは、大卒の場合、三十代の後半には課長となり、さらに昇進する人の場合は四十代の終盤に部長というように昇進できました。1980年代の半ばでも五十代前半の大卒サラリーマンの 9割以上が課長以上のポストに就いていたということです。
たとえば、ある会社の営業部に、部長 1名、課長 2名、そしてその2名の課長の下にそれぞれ課員が 6名ずつの 12名いるとします。さて、今この部の課長2名にはそろそろ部長になる時期が来ているとします。しかし、部長のイスは一つしかありません。また、課員 12名のうち 「課長適齢期」 の人が 4名いるとしますが、しかし課長のイスは二つしかありません。しかし、日本の経済成長が著しかった時期には、この点は問題なかったのです。というのは、この時期には会社もどんどん事業を拡大することができたからです。
どうしていたかと言えば、この会社は事業を拡大し、もう一つ営業部を作り、従来の営業部を「第一営業部」、新設の部を 「第二営業部」 としていたのです。この結果、部長のイスが一つ増えたので今まで課長だった 2名は、めでたく両者とも部長になれ、給料も上げてもらえました。同様に課長のイスも四つになったので、「課長適齢期」 の 4名も全員が課長に昇進し、昇給もありました。 このように、企業がどんどん成長していた時期には、それに伴って管理職のポストも増加させることができたのです。
ところが、長期の不況が訪れると、企業は事業拡大どころか縮小を迫られる場合も増えてきました。つまり、一つある営業部がいつまでも一つのままであるとか、二つあった営業部を一つにするといったことをせざるを得なくなったのです。この結果、いつまでたっても課長になれず、給料も上がらない社員がどんどん出始めたどころか、事業を縮小したために、ほとんど仕事のない課長がぞろぞろといる会社が多数出現してしまったのです。
以前、経済企画庁が予測したところによれば、21世紀初頭には大卒でも四人に一人しか管理職になれないであろうということです。 しかも、この調査は 1990年代の長期不況以前の予測ですから、実際にはもっと厳しいものになる可能性が強いと考えられます。
長年勤めていれば、ゆくゆくは誰でも管理職になれ、給料も上がる 「年功序列」 という経営のやり方は、高度成長期においてのみ可能だったのです。高度成長期が終わりを告げてから久しいにもかかわらず、 まだ年功序列を維持しようとしている企業もありますが、そのためには不況であってもどんどん会社を膨張させなければなりません。 これは長時間労働の原因にもなってしまいます。
2) 「リストラ」
1990年代の長期不況が始まって以来、「リストラ」 という言葉がよく使われています。「リストラ」 とは、「リストラクチャリング (再構築)」 の略語で、不況で業績不振に陥った企業が、会社組織を作り直す(再構築する)ことを意味しています。リストラにはいろいろな型がありますが、もっとも厳しいものが 「社員の解雇」 です。 ついに、日本の大手メーカーにも中高年社員の一方的解雇を通告する会社が出現し (その後、凍結となりましたが)、この時には大きな波紋を呼び起こしました。
また、国内でも外資系の会社は不況になればあっさり人減らしをしているようです。今後もこの傾向は強まることはあっても、弱まることはないと思われます。国内の大企業経営者 1000人を対象にしたアンケート調査でも、「あなたは将来、 管理職に対して定年まで雇用を保証しますか?」との問いに 「はい」 と答えた人は 51%しかいません。あるいは、上場企業の人事課長を対象にした調査でも、終身雇用について、「近い将来崩壊する」 と答えた人が 41.6%もいます (数字はいずれも '90年代初頭のものですから今はもっと増えていると思われます)。
3) 中途採用
過剰雇用を行っていたり、技術革新について行けない中高年社員をもてあましている企業が多い反面、能力のある人なら年齢にこだわらず外部から採用するという策に出始めた企業も増加する傾向にあります。こうした採用は 「中途採用」 と呼ばれます。
既に 1991年の時点で、企業の 87%が中途採用をしています。時代の変化のテンポが速くなり、急激な技術革新が企業内でも行われるようになった現代では、社内研修で社員を再教育していたのでは間にあわず、能カのある人材を外部から導入しなければならなくなったのです。また、経団連が加盟企業を対象にしたアンケート調査 (回答社数 400社) の結果によると、新卒業者を一括して採用し、4月に入社式をするという従来のやり方を改め、通年採用を導入している企業は、文系で15.1%、理系で17.1%に昇ります('97年現在)。
つまり、技術を身につけていれば、学校を卒業した時に入った会社以外の会社で働くチャンスもあるという時代が既に始まっている のです。
4) 増える転職者
中途採用が始まり、企業の年齢制限が緩和されるにつれて、今日の若い労働者には仕事 (会社) を変える人が多く出てきました。労働省の調査によると、'90年に就職した新卒者のうち、3年後の離職率は、高卒男子で 42%、・ 高卒女子が 50%、大卒男子が 21%、 大卒女子は 42%というデータが出ています。また、かつて転職は高卒の人に集中していましたが、最近では大学卒 ・ 大学院卒の人の転職が増えているとの調査結果もあります。
1992年に行われた総理府の調査によれば、20〜29歳の男性の 73%、 女性の 70%が 「転職してもよい」 と回答しています。また、総務庁の別の調査によれば、転職を希望している人の数は '95年には過去最高の 519万人に昇り、これは就業者全体の約 12人に 1人の割合となっています。さらに、この中で実際に仕事をさがしている人は 195万人となっています。年功序列は崩れつつあり、長期にわたり懸命に会社のために働いても必ずしも昇進や昇給がある訳ではないということを若い人々は敏感に感じとっているのです。
あるいは、 仕事を選ぶ際に給料よりも 「やりがい」 であるとか、「自分の個性を活かせる」 ことを優先したいと考える若い人も多くなっています。 戦後の貧しかった時代には 「やりがい」 であるとか 「自分の個性」 などと言っていられませんでしたが、今日の若い労働者がそうしたことを優先するようになったのは、物質的にはかなり満たされているということの現れでしょう。
以上のように、経営環境の悪化 ・ 急激な技術革新 ・ 若者の勤労意識の変化 (あるいは価値観の多様化) などにより、「終身雇用」 やそれに付随する 「年功序列」 は既に崩れつつあり、それらは “一時的現象” でしかなかったのです。
確かに、“一時的現象” であれ、「終身雇用」 は少なくとも大手企業の大卒男子社員を対象にして高度成長期には存在していました。 そして、「終身雇用」 が 「社員は定年までクビにならないので安心して働けるし、また会社に対する忠誠心も生まれる」 として評価されていた時期もありました。戦後数十年の間に日本が急激な復興を遂げた大きな理由として、「終身雇用 ・ 年功序列」 といった 「日本的経営」 が挙げられます。日本の労働者が転職をせず、一旦入った会社で懸命に働いたからこそ企業もスムーズに計画を実行でき、それが結果として各企業の急成長を実現させ、国全体も高度成長を果たしたのです。
しかし、「高度成長」 がもはや神話になってしまった今、日本的経営のマジックも、もはやこれまでなのです。
それどころか、「終身雇用」 は (消滅しつつあるものの) 今日ではその弊害の方だけが残っているのです。「終身雇用」 は、次に挙げる 10の自由を私たちから奪うのです。
○ 終身雇用が奪う 10の自由
1) 自由な時間 (休暇) が増えない。2) 転職の自由がない。
3) 市民が主体的に生きられない(すなわち自由に生きられない)。
4) 官僚と業界の癒着を生みやすく、ビジネスの世界で公正な自由競争が行われない。
5) 受験競争を必要以上に激化させ、子どもたちから自由を奪う。
6) 会社員の給料が上がらない (働いた分だけの給料をもらう自由がない)。
7) 物価が安くならない(品物を安く手に入れる自由がない)。
8) 男女雇用機会均等化が進まない(女性には、男性と同様に働く自由がない)。
9) 社会人に大学で学ぶ自由がない。
10) 「就職活動」 の負担が大きくなり、大学4年生が自由に学生生活を送ることができない。
それでは、一つずつ取り上げて詳しく観てみましょう。
1) 自由な時間 (休暇) が増えない。
(この点については労働時間をご覧ください。)
* 「終身雇用」 という雇用慣行により、日本の企業は新人の募集・採用時に 「年齢差別」 を行っています。このため長時間労働などの悪い労働条件下で働いている人が転職したくても無理な場合が大半です。
転職が容易な労働市場が生まれれば、優秀な人材はどんどん条件の良い職場に転職します。雇用者は優秀な人材の流出を防ぐために勤務時間を始めとして、少しでも良好な労働条件を整備しようと努力します。労働条件を巡って各企業が競争するわけです。この競争により、過労死する人が後を立たないほどの長時間労働は是正されることが期待できます。また、残業をさせておきながら賃金を支払わないという “サービス残業” についても、雇用者は目をそむけることはできなくなるはずです。
社員が転職できず、過酷な条件下での労働に泣き寝入りせざるを得ないのをいいことに、日本の企業の多くが長時間労働や “サービス残業” の問題を放置しています。あるいは、「終身雇用」 という慣行そのものが長時間労働の原因になっている点は「労働時間」の項で述べています。
日本人には過労を訴える人々が非常に多く、過労死や過労自殺にまで追い込まれる人も急増しています。(2002年に労災が認められた過労死は160件に上り、前年度の2.8倍です。また、過労自殺も、前年度の1.4倍の43件で過去最多でした。)
2) 転職の自由がない。
「終身雇用」 は一時的現象であるにもかかわらず、日本では企業 ・ 官庁が新人の採用時に年齢制限を設けているため、転職の自由があリません。[ 「転職について」 (*「年齢差別の問題」) あるいは、再就職における年齢差別 もお読みください。] このため、「今の仕事では自分の才能が発揮できない」 とか、「もっと自分を評価してくれるところで働きたい」 などと考えている人でも仕事を変えることは容易ではありません。「終身雇用」のもとでは、学校を卒業する時にどこに入るかによってその人の人生が大きく左右されてしまいます。
たまたま自分が学校を卒業する時期が不況の時期で、自分の希望する企業が新規採用を見送ったため、ついに一生その企業で働くチャンスが無かったといった例は日本には多く見られます。極端に言えば、仕事に関して日本人には一生に一度しかチャンスがないのです。そのたった一度のチャンスをものにすることができず、絶望した若者に対しておとなたちは、 「人生は長いんだ、たった一度の失敗にくじけてはだめだ」 などと、もっともらしいことを言ってきました。しかし、おとなたちが今日までに築いた社会は、「敗者復活戦」 のない一発勝負型の社会でしかなかったのです。
たとえ、学校の卒業時に自分の希望する企業 ・ 官庁に入った人でも、働いているうちにその仕事が自分には合っていないと判る場合もあるはずであり、そうした人々も自分に合った仕事を捜すための試行錯誤ができないのです。
また、「終身雇用」 に付随する 「年功序列」 の賃金体系下においては、長く勤めていなければ昇進 ・ 昇給がないため、日本のサラリーマンはたとえ年齢制限がゆるくても転職 (転社) に対して消極的になりがちで、そのために資本家が新しく会社を設立しようとしても、有能で働き盛りの人材は集まらず、新卒の人や技術革新についていけないような中高年サラリーマンしか応募して来ないということも指摘されています。新しく企業を設立するのが困難な社会は、 産業の発達しにくい社会であることは言うまでもありません。
3) 市民が主体的に生きられれない。
(すなわち、自由に生きられない。あるいは、気持ち良く働くことができない。)
次の表を見てください。
仕事満足度
日米欧価値観調査 Q26
“全体的にいって、あなたは、今のお仕事にどの程度満足していますか、あるいはどの程度不満ですか。”
(%) 尺度
日 本
イギリス
フランス
西ドイツ
イタリア
アメリカ
カナダ
不 満
満 足
1 2.1 1.9 2.5 0.8 4.3 1.3 0.9 2 1.3 1.4 2.0 1.7 1.2 1.3 0.5 3 6.0 2.6 3.0 3.4 2.2 2.6 1.5 4 5.5 3.9 3.3 5.2 4.6 3.1 1.6 5 12.1 5.4 13.1 10.8 9.3 8.0 5.6 6 16.2 7.2 12.7 10.2 8.6 7.0 5.3 7 16.3 11.8 16.1 16.3 12.2 13.1 13.0 8 21.5 24.8 20.1 25.7 19.1 21.9 26.8 9 5.7 15.8 10.4 12.8 14.5 18.4 19.2 10 4.8 24.4 9.8 9.5 22.0 21.8 24.2 わからない 8.5 0.7 6.9 3.9 1.9 0.7 1.5 平均尺度 6.42 7.72 6.83 7.06 7.33 7.68 8.04 『人生80年時代における労働と余暇』 経済企画庁国民生活局編(1986年)より
※ ドイツは1986年当時の 「西ドイツ」 である。
この表は、いわゆる 「先進国」 の勤労者の仕事に対する満足度を数値で表したものです。 この表によれば日本の勤労者の満足度は、平均尺度6.42で最低です。つまり、日本人には今の自分や、今の自分が置かれている立場に納得して、気持ちよく働いている人が少ないということです。
ひところ、日本のサラリーマンは会社に対し忠誠心をもっているからよく働くのだと言われていました。日本人の労働時間が長いのは確かですが、その理由が忠誠心にあるとは思い難いです。表によれば満足度は先進国の中では最低ですし、日本のサラリーマンは仕事を終えた後、バーや家庭でどれほど会社に対する不満を言っているでしょうか。
会社は定年まで雇ってくれるのだから、超勤 (超過勤務=時間外労働) ぐらいはせざるを得ないということなのでしょうが、これでは 「働いている」と言うより 「働かされている」 状態です。超勤を拒否することはできないし、かと言って転職はできないので、結局、しぶしぶ働いているだけなのです。これは、主体的な、あるいは自立した生き方とは言えません。あるいは、各自が自由意志に基づいて生きているとも言えませんし、ましてや 「気持ちよく働いている」 などとは到底言えません。
* 会社への忠誠心、日本が世界最低
「非常にある」 9%
( 朝日新聞・電子版 2005年05月13日01時33分配信の記事 )
日本人の会社への帰属意識や仕事への熱意は世界最低水準――。そんな結果が、米世論調査会社のギャラップの調べで明らかになった。帰属意識や熱意が「非常にある」と判定された人の割合はわずか9%で、調査した14カ国のうち最低。4人に1人が「まったくない」とされ、職場に反感や不満を感じているという。
調査は今年3月に電話番号から無作為に選んだ千人を対象に、「自分の得意なことを行う機会が毎日ある」「自分が何を期待されているかがわかっている」「自分の意見が考慮されているように思う」「成長を励ましてくれる人がいる」など12問を5段階評価で答えてもらい、総合的に評価した。
その結果、仕事への忠誠心や熱意が「非常にある」が9%、「あまりない」が67%、「まったくない」が24%となった。03〜04年に同じ調査をした他国と比べると、「非常にある」はシンガポールと並んで最低、最も高い米国(29%)の3分の1以下だった。一方、「まったくない」はフランス(31%)に次ぐ2番目の多さだ。
同社は「米国は不満があれば転職する。日本は長期雇用の傾向が強いこともあって、相当我慢しているのではないか」と分析している。
さらに言えば、日本人の場合、会社に入ってからの働きっぷりに主体性がないと言うよりも、「就職」 という行為そのものが消極的です。
アメリカなどでは、大学院で経営学などの修士課程や博士課程を修了した人が、卒業と同時に中堅会社の課長職におさまるというような事例があります。アメリカにおける有カなビジネス ・ スクールの学生は、企業内で起きた実例を教材にして熱心に勉強します。また、大学側も、知識は具体的かつ実社会で役立つものでなければ意味がないという考え方 (プラグマティズム) に基づいた教学を行っています。
ところが、日本人には、実社会に出てから役に立つビジネスの知識を学校で身に付けてから就職しようという意識があまり高いとは言えません。また、特に日本の大学の文科系の学部では、( いくら “スクール” が、本来 “暇” な時間を楽しむための 「知的遊戯」 を行う場であったとしても) 就職に有利だからと思って大学に来た人に対し、企業内では役に立たない知識ばかりを教えている場合がかなり見られ、これでは大学がその役割を果たしてるとは言えないでしょう。
日本がこのような状態になった大きな原因も、日本式の経営にあります。 今日まで特に大手企業に存在した 「終身雇用」 により、入社した人が転職せず (転職出来ず)、多くの人が定年までその会社で働き続けるので、地位や給料は勤続年数に応じて少しずつ上がる 「年功序列」 という方式が定着したのは自然な成り行きだったのかもしれませんが、しかし 「年功序列」 という方式は、「勤続年数とともに昇進 ・ 昇給があるのだから不満があっても黙って働け」 という 「アメとムチ」 にもなり得たのです。
したがってこの方式は、社員の間に 「不満はあるけど、我慢して働いていれば、昇進も昇給もあるのだから黙って会社の言いなりになっておこう」 といった消極的な考え方を生みやすいのです。あるいは、仕事上の問題が生じたときに、 社員が自分で考えあるいは判断する気にもならず (判断する能カも身に付かず)、何もかも会社の指示を仰がなければならないような人間になってしまう土壌にもなっているのです。
さらに、社内研修によって育てられた社員は、「会社は未熟だった自分を採用し、給料を払った上で研修まで受けさせてくれている、つまり会社は自分に投資したのだから、自分には会社に貢献する義務がある」 と認めざるを得なくなってしまい、いわゆる 「会社人間」 ヘの道をたどってしまうことになりがちなのです。
また、「年功序列」 のもとでは、全ての新入社員が末端に配属され、たとえ経営学の修士課程を修了している新人でも先輩を追い越していきなり幹部になれるなどということはありません。日本の企業では、新人はすべて社内研修を受けて 「戦力」 に育てられていきます。このため、日本では大学 (特に文科系の学部) で熱心に勉強 しても無意味だという風潮が生まれてしまうのです。
また、大学側も、「いくら大学で実践的教学を行っても、結局、学生たちは企業に入ったら全員末端に配属され、研修を受けなければならないのだから…」 と考えて気が緩み、役に立つ授業をしなければならないという使命を忘れてしまうのです。
以上のように、日本では社会の仕組みが主体性に欠ける人間を生むように出来ているのです。もしくは、労働者の一人一人が自由意志に基づいて働くことができないように社会が作られているのです。
4) 官僚と業界の癒着(ゆちゃく)を生みやすく、ビジネスの世界で公正な自由競争が行われない。
日本の中央官庁の官僚の世界には、“出世競争” から脱落した人は民間企業に入る ( “天下り” と呼ばれます) という慣習があります。1993年現在で、大手企業 (上場企業) の 4.5社に 1社が天下り役員を受け入れています。日本の企業は新人の採用時に年齢制限を設けていますし、人件費節減の時節ですから、中高年の人を中途採用するということは少ないのですが、中央官庁の官僚については、 毎年多くが民間企業に天下りしています。
出世競争から脱落した官僚が官庁を辞めるのは、その官僚の自由ですし、またそういった人々を中途採用するのも企業の自由です。しかし、なぜこの就職難の時代に、官僚だけが比較的容易に再就職できるのかという疑問がわきます。このようなことの裏には、双方に何らかの利害関係の一致があると言われても仕方がないでしょう。 すなわち、企業は官僚に業界保護の行政をしてもらい、その代わり官僚は官庁を辞めたあとで再就職させてもらうという関係です。いくら当の官僚が 「自分には何らやましいことはない」 と言っても、“李下に冠を正さず” という精神が求められるのが公僕の世界ではないでしょうか。
日本の官僚は消費者保護ではなく、業界保護の行政をしがちであるとしばしば指摘されています。その理由が、全て自分たちの再就職を有利にするためであるとは言えないでしょう。ただ、再就職のしづらい状況のあるわが国において、出世競争から脱落したら再就職しなければならない世界に身を置いている人々(=官僚)に対して、将来の身のふり方を心配するなと言うことに無理があるのも確かです。少なくとも、再就職がやりにくい 「終身雇用」 は、官僚と業界の癒着を生みやすく、「規制緩和」 の進みにくい環境であるということは言えます( 「規制緩和」 については詳しく後述します)。
5) 受験競争を必要以上に激化させ、子どもたちから自由を奪う。
転職が比較的容易な国においては、学校を卒業するときに希望する企業に入れなくても、とりあえず入れる企業に入り、そこで仕事を覚え実力を蓄えたところで、もう一度希望する企業に自分を売り込むことは可能であり、チャンスは一度だけではありません。
したがって、学校を卒業するときだけがチャンスではありません。また、 大手企業に評価してもらおうとして、無理をしていわゆる一流大学に入る必要もありません。また、いくら一流大学を卒業していても、 「終身雇用」 でも 「年功序列」 でもありませんから、実カがなければ解雇されたり、他社から入ってきた人や、後から入ってきた人に追い越されてしまいます。
つまり、諸外国ではおとなになって(社会に出て)から本当の競争が始まるのです。 ところが、日本のように一発勝負型の社会では、とにかく学校を卒業するときに、なんとかして希望の企業に入らなくてはなりません。しかも、日本の企業は今日に至るまで、いわゆる一流大学卒の人を高く評価し、採用してきましたので、いきおい、一流大学に入らなければならないということになってしまうのです。
つまり「終身雇用」は日本の中学生 ・ 高校生やその親たちに、 「一流校に入らなければ一生苦労する」 という強迫観念を与え、それは子供たちが必要以上に過酷な受験勉強をしなければならなくなる一つの原因となっているのです。
6) 会社員の給科が上がらない。
日本の企業が 「終身雇用」 を維持しようとすれば、経営が悪化したからといって社員の解雇はできず、過剰に社員をかかえてしまいがちです。そのような社員は、給料はもらっているけれど社内では仕事が無い状態になります。このような状態は 「過剰雇用」 と呼ばれます。
東京の大手企業など 300社余りを対象にした調査(’94年) では、平均で社員の 7.1%を過剰に雇用していると答えています。 このため日本の企業は人件費に過剰の支出を強いられているのです。 この状態は失業率が低く抑えられているという部分を見れば好ましいようにも思えますが、仕事の無い社員にまで給料を払っているために、その会社内で本当にバリバリ働いている人の給料はなかなか上がりません (特に、「年功序列」 のために若い社員の給料は非常に低いものになりがちです)。
7) 物価が安くならない。
「終身雇用」 は、物価にも影響を与えます。前述のように、日本の企業は中高年社員には実質の労働よりも高い賃金を払ったり、過剰に雇用している社員にも給料を払わなければならず、そのためには製品を高く売らなければならないということにもなっています。日本では物価が高いので、いくら労働者の賃金が世界の最高水準にあっても安く商品を買うことはできません。
その結果、消費者の購買意欲も高まらず、内需も拡大せず、不況からなかなか抜け出せな くなってしまうのです。あるいは、日本製品の国際競争カを低下させる原因のひとつになっているとも言われています。
8) 男女雇用機会均等化が進まない。
「終身雇用」 による年齢制限は、出産等で一度退職した女性の再就職を困難にしています。また、企業が新卒の女性の採用に難色を示す際、その理由にされるのが、「男性は定年まで勤め続けるが、女性は結婚や出産等で中途退社する人が多いから」 というものです。 しかし、「男性は定年まで勤め続ける」 ことの理由は、転職ができないからです。もし、転職が容易になれば、男性もどんどん転職をし始め、その結果、企業は「男性は定年まで働くが女性は…」 とは言えなくなります。つまり、「終身雇用」 は企業に男女差別をする際の口実を与えているのです。
9) 社会人に大学で学ぶ自由がない。
アメリカなどでは、学校を卒業して、一旦社会に出てから自分には専門知識が不足していると思った人が、仕事を辞め、大学に入り、 知識を身につけて再就職するといったことがよく行われます (アメ リカには30歳を越えた大学生が多数存在します)。ところが日本では、会社を辞め、大学に入るまでは出来なくはないですが、卒業後の再就職がかなり難しくなってきます。言うまでもなく、日本の企業は新人の採用時に年齢制限を設けているからです。このため、大学で学びたいけれど、再就職が怖いので断念している日本のサラ リーマンは数多いと思われます。
* 一度就職した人が大学等で学び直すことを困難にさせる社会は、時代の変化に対応できない労働者を大量に生み出します。この状況はやがて社会構造そのものを硬直させ、日本という国家自体が時代に後れをとることになりかねません。
10) 「就職活動」の負担が大きくなり、大学4年生が自由に学生生活を送ることができない。
雇用において日本の社会は一発勝負型ですから、たった一度のチャンスをものにするために大学4年生は早い時期から 「就職活動」 を始めなければなりません。企業側も卒業見込みの学生のうち、有能と思われる学生を早期に採用決定し、確保すべく 「青田買い」 と呼ばれる争奪戦を展開する場合もあります。海外では、「青田買い」 をしても意味がありません。というのも、転職が比較的容易なので、たとえどこかの企業が 「青田買い」 をしようとも、有能な人は入社後何年かすれば、よりよい条件の企業にどんどん出ていって しまうからです。
したがって、日本に存在したような有名無実の 「就職協定」 もありません。第一に、「就職活動期間」 というものがないのですから。 日本では、大学4年生には、自由に学業などの大学生活に専念する時間がほとんどない場合もあります。これも、「終身雇用」 が起こしている弊害なのです。
また、不況による新規採用の減少の影響を新卒の人々がまともに受けるという害もあります。過剰に雇用されていて、社内での仕事が無いのに給料をもらっている会社員は数十万人以上もいると言われていますが('90年代の数字です)、 このことが原因の一つとなって、若く将来性のある優秀な人材が職にあぶれているのです (’95年5月の完全失業率は 3.1%でしたが、15〜24歳の失業率は5.7%でした)。
これは企業に とっても危険なことです。というのは、若く新しい血を導入しないことは自らを 「老化」 させる行為であるからです。このことは単に企業内のことにとどまらず、日本の経済にとっても自殺行為です。ドイツ三大化学会社の 「ヘキスト」 社は 「われわれには新卒者を雇う社会的責任がある」 という趣旨の理念に基づいて、中高年社員の早期退職制の導入をあえて断行しました。日本の企業にはこのような 「社会的責任」 を感じる企業はないのでしょうか。
* もちろん、若い人材についてだけの問題ではありません。日本の企業の多くが、新人の採用時に年齢制限を設けることにより、経験豊富で活力もある40〜50代の優秀な人材が外部から入ってくる道を自ら閉ざしています。これも自殺行為に他なりません。企業側が年齢制限を撤廃したがらない理由としては、外部から有能な人材が入ってくることによって自分の立場が危うくなることを懸念している人が企業内部に多く存在するということが考えられます。自分の保身のみを考えていては会社全体が “沈没” していくというこに、そうした人々は気付いていないのです。いくら自分の地位を守れても、会社全体の業績が悪化したり、倒産したりでは、結局のところ無意味だということに気付かねばなりません。
* 「連合」 を始めとする日本の労働組合は、年齢差別を黙認していると言わざるを得ません。年齢差別が解消されることは、企業側にとっては従業員の解雇がやり易い状況になると言えなくもありません。日本の労組はこの点を恐れていると思われます。しかし、21世紀の今日、日本の労働者の多くは 「解雇されにくい企業社会」 よりも 「解雇された後の再就職のし易い企業社会」 を求めているはずです。日本の労働運動も21世紀型の方針を持つべく軌道修正されなければなりません。
* 補足
* 補足1 「1) 自由な時間 (休暇) が増えない」 ことにより・・・
1 “フリーター” や “ニート” が増加する
“フリーター”( 学校を卒業したのに定職に就かず、アルバイトをする人々)や、“ニート” ( 学校にも行かず、職にも就かず、職業訓練も受けない人々)が増えています。この人々が定職に就きたがらない理由の一つとして、「定職に就くと長時間労働や “サービス残業” をしなければならなくなり、そのことに耐えられない」 というのがあるのではないでしょうか。「友人からのカラオケへの誘いを断って残業したのに賃金は支払われない」 というのは、現代の多くの若者にとっては信じられないことであり、耐えられないのが当然でしょう。結果として、長時間労働も “サービス残業” (無賃労働)もない “フリーター” に流れる人が増えるということになっています。
しかし、定職に就かないことにより、若者は職業能力向上の機会を失い、それは日本経済の競争力を低下させることにもつながります。
2 景気回復の妨げになる(1)
景気回復には労働時間も大きくかかわっています。労働時間が短縮され休暇が増えれば、当然のことながら人が外出する機会が増えます。人間は外出すれば必ず何かを買ったり外食をしたりするものです。しかし、長時間労働をしている人々は消費の機会を多くはもてません。
また、上記の “フリーター” や、“ニート” の存在は景気にも影響します。低所得の “フリーター” や無収入の “ニート” が増加すればそれだけ個人消費は弱まります。
この意味で、「終身雇用」 から派生する長時間労働は景気回復の妨げにもなっています。
( 「終身雇用」 が景気回復の妨げとなっている別の側面については景気回復の妨げになる(2)で後述します。)
3 少子化の問題をさらに深刻化させる(1)
労働時間の件は少子化の問題に及ぼす影響も大きいと考えられます。
日本の少子化の大きな原因は未婚・晩婚化です。その原因の一つに、“フリーター” や “ニート” の増加があります。前述のように、この人々が定職に就きたがらない理由の一つに 「長時間労働に耐えられない」 ということが考えられます。
低所得の “フリーター” や無収入の “ニート” の増加は日本の未婚 ・晩婚化に拍車をかけ、それは少子化をさらに深刻にさせるものになります。
また、結婚を渋る女性が、その最大の理由としているのは 「結婚すると女性に家事 ・ 育児等の負担が重くのしかかり、仕事との両立が困難だから」 ということです。日本人全体の休暇が増えれば、その時間を夫婦ともに家事 ・ 育児 ・ 介護などに当てることができますが、現在の労働環境下では、それは非常に難しいものとなっています。
( 「終身雇用」 が少子化をさらに深刻化さている別の側面については少子化の問題をさらに深刻化させる(2)で後述します。)
* 補足2 景気回復の妨げになる(2)
90年代後半からの不況の最大の原因は、個人消費の落ち込みですが、消費者の財布の紐(ひも)が固くなってきた理由は、(もちろん一概には言えませんが) 「雇用不安」 によるところが大きいのです。
2000年以降、近い将来に自分の会社が倒産するかも知れない、あるいは会社から解雇されるかも知れないという 「雇用不安」 を感じている人は半数を大きく上回っています。しかし、再就職となると終身雇用という環境下における、「年齢差別」 という障壁が立ちはだかり、自分の年齢では行くところはなく失業するだろうと考え、収入は出来るだけ貯蓄に回そうと考える人が多くなっています。( 自主廃業した山一證券の社員を受け入れたいと申し出た企業は多くありましたが、その募集要項の大半には 「30歳まで」 とか 「35歳まで」 と書かれてありました。)
倒産や解雇の可能性があっても、個人消費を落ち込ませなくするためには、「転職のチャンスが多い状態」、あるいは 「起業家が新しくビジネスを始めやすい環境」 を作る必要があります。そうすれば、たとえ将来において解雇されたり、勤めている会社が倒産する可能性があろうとも、消費者は 「健康でありさえすればチャンスはある」 という楽観的な気分を持つことができ、購買意欲もさほど衰えることはないはずです。そして消費者は、「明日はどうなるか定かではない。でも、それならば、いやそれだからこそ今日を楽しもう。欲しいものは思いきって今日買ってやろう」 と考えるようになるでしょう。
現実はというと、日本のサラリーマンの多くは、将来に悲観的で、特に自分の会社の倒産やリストラに考えが及ぶと (20代の人はともかく) 「この年齢では再就職は難しいだろう」 という不安を感じずにはいられず、消費者マインドは冷えきり、「明日はどうなるか定かではない。それならば買い物は控え、貯蓄して明日に備えよう」 と考えてしまうのです。
* 補足3 少子化の問題をさらに深刻化させる(2)
女性が結婚あるいは出産を望まないもう一つの理由は、「育児が一段落して再就職したくなったときに 『年齢差別』 に阻まれる」 というのもあると思われます。
「終身雇用」 に伴う 「年齢差別」 が消滅すれば、現在の日本の少子化はかなり是正されるでしょう。未婚 ・ 晩婚化や少子化に歯止めがかかれば、住宅や子供関連の業種はもとより幅広い産業が活性化し、景気回復の強力な後押しになることも期待できます。
* 補足4 夢を持って生きられない。また、起業家が生まれにくく開業率が上がらない
「終身雇用」 というシステムにおける 「年齢差別」 は日本人が夢を持って生きることを極めて困難にしています。そして、ほとんどの日本人にとって、夢を追い求める生き方は、あまりにも非現実的なものになっています。
たとえば、プロ・スポーツ選手、俳優、ミュージシャン、作家、芸術家などになるという夢を追いかけようとしている若者が、親を始め周囲からそれに反対されるといった例が日本ではよく見られます。周囲が反対する理由の大半は、「夢がかなう可能性は少ない上に、夢破れ年齢がかなり上がった後に企業に就職するのは困難で、リスクが大きすぎる」 というものだと思われます。周囲の人の言っていることは確かにその通りですから、日本の若者の大多数は、一度は夢を抱いてもその忠告に納得し、夢を追うことを早々に諦め手堅く会社員や公務員として働くという生き方を選ぶということになります。
「年齢差別」 によって、「夢を追う」 という生き方は日本では極めて困難なのです。したがって、日本の親たちの大半は、子供がある程度の年齢に達すると、夢を追い求めるのは間違った生き方であるというように、あるいは悪いことであるかのように教育せざるを得なくなります。
別の例を観てみましょう。日本では、会社員が会社を辞めて独立したいと考えても、それを本当にやるかどうかとなると二の足を踏んでしまうのが当然です。ここにも 「年齢差別」 が大きく影を落としています。たとえば、31歳の会社員が会社を辞めて自ら会社を立ち上げ、10年間努力したものの、経営を軌道に乗せることは出来ないことがはっきりしたといった場合に、その人はどこかの企業に再就職する道を選ばざるを得ないでしょう。しかし、41歳になったその人には 「年齢差別」 の壁があり、その時点での就職は困難を極めることになります。これもリスクが大きいと言わざるを得ません。したがって、日本の開業率は非常に低いものになっています。1990年代の数字ですが、アメリカの開業率が10%を超えているのに対し、日本の場合は4%程度となっています。新しい企業が生まれにくい国に経済の活性化は望めません。
しかし、何歳になっても就職のチャンス(それも決して悪くない労働条件で働けるチャンス)のある環境が整備されれば、プロ・スポーツ選手などを夢見る若者にとっても独立を考えるサラリーマンにとっても、夢破れた後の不安がかなり解消され、思い切ったチャレンジも可能になるはずです。また、こうした環境なしに、今後の日本の文化的繁栄や経済的成長を期待することが出来るでしょうか。
人間にとって何が幸福かといって、「夢を追い、夢をかなえる」 ということくらい幸福なことはないはずです。しかし、その 「人間にとっての最大の幸福の追求」 を日本人の大半はナンセンスだと考えているのです。そして、そんな生き方は間違っていると親が子に向かって教えなければならないのです。国民が夢を持って生きられない国、すなわち、国民が人間にとっての最大の幸福を追求することを保障できていない国が、国家として何の意味を持っていると言えるでしょうか。
アメリカ人の7割方は 「アメリカでは努力すれば報われる」 と思っています( 「自由の意義」の教育の中の 「アメリカ合衆国」 の項を参照してください)。メジャー・リーグのかつての名物監督のラソーダさん( ロサンゼルス・ドジャーズ )は少年野球教室で、「努力しなさい。この国では努力は報われるんだ!」 と子供たちの前で自信を持って話していましたし、おそらく7割方の母親は子供に対し、「夢を持ちなさい。そしてその夢がかなうように努力しなさい。アメリカは夢をかなえてくれる国よ」 と教えているのでしょう。
もちろん、万人が万人、完全に夢がかなうわけではありませんが、少なくとも 「才能+努力した分」 だけの報いは得られると、7割方のアメリカ人は考えているものと思われます。
親が子に、夢をかなえるべく努力することを教育するアメリカ。親が子に、夢を追求することを諦めるよう教育する日本。・・・イラク問題や安全保障については日米の同盟関係は重要であるなどとして、ほとんど盲目的にアメリカに追従している日本政府ですが、国内にはアメリカとは正反対の社会が出来てしまっているのに、それは一向に改まっていません。日米が同盟国として自由や民主制についての価値観を共有しているとは到底言えないのです。
* 補足5 自殺 ・ 犯罪が多発する
○ 高等教育を受けられなかった人が人生に絶望する
貧しい家庭に生まれ育ち、大学教育を受けられなかった人が、就職してから貯めた資金で大学教育を受け、より良好な労働条件の企業に再就職するというのは、アメリカでは全く珍しくありません。この意味でアメリカは 「人生のやり直しの出来る社会」 と言えるでしょう。このような社会では、貧しい家庭に生まれ高等教育を受けられなかった人でも、自分の人生に絶望せず生きることが可能です。
しかし、日本の雇用における 「年齢差別」 は中高年になってからの転職などの 「人生の再出発」 を不可能にしています。日本社会は 「やり直しのできない社会」 なのです。したがって、日本では、恵まれない家庭環境下に生まれ育ち、高等教育が受けられず自分の望む職に就けなかった人は、自分が不幸な運命に支配されていると考えて絶望する可能性が高いのです。
○ 高等教育を受けながらも人生のやり直しを望んでいる人も絶望する
高等教育を受け自分の希望する職に就いたものの、中高年になって失業し、再就職がままならない人々にとって、希望を失わず生きるというのは日本では非常に困難です。あるいは失業していなくても絶望する場合はあります。すなわち、ある職で何年間も働いた人が、自分の能力が生かせるのは別の仕事だと気付くというのは人間社会には珍しいことではないにもかかわらず、日本社会は転職(それも賃金等の労働条件がさほど低下しない転職)をほとんど不可能にしているからです。
○ 絶望した人は自殺または犯罪に走りやすい
絶望した人はそうでない人に比べ自殺を図ったり、自暴自棄になって犯罪を行う傾向が強いのは当然でしょう。2003年の日本人の自殺者の総数(病苦が原因のものなどすべての合計)は3万4427人でした。人口10万人当たりの自殺者数は27.0人で、この自殺率は他の先進国の平均の約2倍に相当します。日本人の自殺率が異常に高い原因が、「年齢差別の存在」 によるものであるということは検証されてはいないものの、有力な仮説であると思われます。また、大阪教育大学附属池田小学校で児童を殺傷した人物などは、高等教育を受ける機会の与えられなかった自分の人生を恨めしく思い自暴自棄になって犯行に及んだ典型的な例です。また、2008年に秋葉原で起こった殺傷事件も池田小学校の事件に類似しています。報道によれば、犯人は自分が不安定な派遣社員であるのは4年制大学を出ていないからだと考え、いらだっていたようです。日本社会は池田小学校の事件から何も学んでいないと言えます。日本社会がこのまま 「年齢差別」 を放置しておけば自殺や上記のような犯罪が今後も起こるでしょう。何歳になっても再チャレンジの出来る社会を日本は構築しなければなりません。(再就職における年齢差別をお読みください)。
2003年現在で、日本には50万人以上も 「ニート」 と呼ばれる人々が存在しています。学校にも行かず、就職もせず、職業訓練を受けることもしないこの人々は、大半が生活費を親に頼っていると思われます。当然のことながら親はいつかはいなくなり、それ以後は働かない限り生活費は得られません。現在二十代の人が多いと思われる 「ニート」 は、四十歳を過ぎて親を亡くし働かざるを得なくなったとき 「年齢差別」 の壁にぶち当たることになります。親にも頼れない、就職もできないという状況で絶望するなというのは無理というものです。
また、「ニート」 ではないものの、“フリーター” と呼ばれる人々も増加しています。学校を卒業しても定職につかずアルバイトで生活しているこの人々は、学生と主婦を除く15−34歳の若年層人口の5人に1人となっています( 国民生活白書 2001年 )。これは10年前に比べると倍増しています。特に25−34歳の “フリーター” の増加が著しくなっています。この人々も親に頼れない年齢となって定職に就こうとしても 「年齢差別」 の壁に阻まれることになります。
このまま 「年齢差別」 が放置されると、「ニート」 や 「フリーター」 は定職に就いている人々に比べ、将来的には絶望し自殺者または犯罪者になる可能性が高いのです。結果として、すでに 「自殺大国」 の日本の自殺率はますます上昇し、凶悪犯罪の発生件数も今後さらに増加し、「犯罪大国」 への道を歩むことになるでしょう。
* 補足6 企業犯罪の温床になる
企業・官庁による新人の採用時の年齢制限によって転職が困難な日本の労働市場は、企業犯罪の温床にもなっています。
自分が所属する会社の経営者の方針に誤りがあっても、解雇されることを考えると日本の会社員は経営者に対してなかなか進言できません。その結果、ひとたび会社が迷走あるいは暴走を始めると、歯止めがかからず会社は業績の大幅な悪化や廃業に追い込まれるということになります。あるいは社会的信用を失うという結果になります。
賞味期限切れの牛乳を新しい牛乳に混入させて売っていた会社は市場から退場せざるを得なくなりました。欠陥が多数あるにもかかわらず公表しなかった自動車メーカーの業績は苦境に陥りました。傘下の鉄道会社の株式の多くが、実質的には会社名義での保有であったのに、個人名義と偽っていたグループ企業も東京証券取引所からレッド・カードを突き付けられ一発退場となってしまいました。
これらの企業の社員がこのような事態になるまで何もできなかった理由の一つに、「日本では転職が困難である」 ということがあるはずです。転職の困難な日本で、会社から法令違反の業務指令を出され、「いやなら辞めてくれ」 と言われれば、解雇されることを承知で指令を拒否できる人はごく少数しかいないでしょう。法令違反の程度にもよりますが、多くの人は黙って指示に従うのではないでしょうか。
また、日本では経営者の側も、社員の転職が困難であることをいいことに、「ある程度、法令違反の業務指令を出しても社員は辞めない」 と高(たか)を括(くく)っています。その最たる例が 「サービス残業」 です。残業をさせておきながら賃金を支払わないという 「サービス残業」 は企業犯罪です。これは無賃労働の強要であり、社員は奴隷扱いされていると言っても過言ではないでしょう。21世紀の現代に、しかも先進国といわれている国で、日本人は無賃労働という前近代の奴隷のような条件で働いているのです。過酷な場合も多いこのような条件下でも、なぜ日本人は働くかと言えば、「苛酷な労働環境であっても、あるいは部分的に無賃労働の時間帯があっても、転職が困難である以上は泣き寝入りせざるを得ない」 と考えるからです。
誇りを持って働いている人は、業務上で法令違反を犯すことはないはずです。前述の牛乳会社や自動車メーカーなどは日本を代表する企業ですが、社員には誇りがなかったのでしょう。あるいは誇りなど持てなかったのでしょう (内部告発をした人がいたのなら、その人には誇りがあったから出来たのでしょう)。無賃残業を強要するような会社で働いている人々も、その会社の社員であることに誇りなど持てないはずです。人間にとって、自分の仕事に誇りが持てないということくらい不幸なことはありません。
* 補足7 見せかけだけの 「年功序列賃金」
「終身雇用」 という慣行に伴って日本の企業内に存在する 「年功序列賃金体系」 は昨今は見せかけだけのものになっている場合が多く、これも景気の低迷が続く原因の一つです。日本の企業は、「年功序列賃金」 を口実にして若い従業員の賃金を低く抑えています。この賃金のシステムだと、これから結婚し、家を買い、子供を産み、子供を育てる若い人々、つまり最もお金を必要としている年齢層の人々 ―― 別の見方をすれば、本来、最も強力に個人消費をするはずの人々―― の賃金が少ないものとなってしまいます。
勤続年数に従って賃金がどんどん昇がっていた時代 (高度成長期) には、若くて給料の少ない人でも 「来年はもっと昇げてもらえるのだから・・・」 という楽観的な気持ちから、結婚もし、家も買えました。しかし、現在の日本では、「年功序列賃金」 と言いながら、実のところ大した昇給もない企業が多くなってきています。結局、「年功序列賃金」 は大半が見せかけであって、実際は、全社員の賃金を低く抑えるための口実にしかなっていないのです。こんな状況下で日本人が消費に走るはずがありません。
* 補足8 定年退職後の再就職を困難にする
社会の高齢化が進み、65歳で定年退職をした後も、再就職を求める人々の数は増大しています。雇用における年齢差別は、言うまでもなくこうした人々の再就職を阻む厚い壁となります。まもなく 「団塊の世代」 と呼ばれるベビー・ブーマーの世代が定年を迎える 「大定年時代」 が到来します。年齢差別の問題は日本にとって直視せざるを得ないものになるはずです。
* 補足9 管理職に就いている無能な人材が淘汰されない
転職 (再就職) が比較的容易な国では、有能な人材は自分の上司が無能だと判断したら、もっと有能な人の下で働くべく転職します。したがって、有能な部下を次々に辞めさせている上司は、経営者から 「会社は有能な人材を採用しているのに、なぜあなたの部下になった人は次々に辞めていくのか」 と責任を問われることになります。この結果、その上司は管理職としての指導力を身に付けるべく努力せざるを得なくなります。あるいはそれが出来ず、同じことが続けば経営者から解雇されるか降格され管理職からはずされることになるでしょう。このように、労働市場の流動性の高い国では、無能な人材は管理職に留まることができません。
ところが、日本のように転職 (再就職) が困難な国では、有能な部下が無能な上司の下で苦痛に耐えながら働き続けざるを得ません。そして、それをいいことに、無能な上司は淘汰されるどころか、有能な部下に成果を挙げさせ、それを自分の手柄にして (部下を踏み台にして) 出世するということまでがよく起こります。このような人材を出世させれば (すなわち高い役職につけさせれば) 、当然、それ相応の高い給料を支払わなければなりません。成果を挙げるために実質的な貢献をしていない人に高い給料を支払ったりしている結果として、日本の労働生産性は低いものになっています。米国の労働生産性を100とした場合の各国の比較調査で、次のようなデータが出ています。
労働生産性水準の国際比較(2005年)
米国 100
ユーロ圏 87
英国 83
OECD平均 75
日本 71出典:「成長力加速プログラム」 経済財政諮問会議 2007(平成19)年4月25日付資料
日本の労働生産性はOECDの平均よりも低いのです。日本の企業組織がいかに効率の悪いものであるかを物語っています。「部下を踏み台にして出世する人も、有能なのだ。有能な部下に成果を挙げさせたのだから、それも上司としての実力なのだ。無能な上司にそれは出来ない」 と言う人もいるでしょう。しかし、そのように主張する人は上のデータで日本の生産性がアメリカの7割でしかない理由をどう説明するのでしょうか。成果を挙げるために実質的に貢献したのが部下であるのなら、有能なのはあくまでも部下であるはずです。部下を踏み台にして出世する人というのは、もっと成果が挙がっていたはずのものを妨げた可能性がむしろ高いのです。また、成果を挙げるために実質的に貢献していない人を昇格させて、さらに高い給料を支払うなどというのは、無駄以外の何物でもありません。
以上のように、消滅しつつあるとは言え 「終身雇用」 という現象は、今日において弊害だけが目立つ存在になっているのです。「自由」 のないこの国の国民は苦痛を受けなければならないだけでなく、 この国が経済的に破綻する可能性も高いのです。