快感原則論 ― 楽しく生きる ―                                   

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目次

はじめに  − 楽しく生きるために −

  I 「楽しさ」とは何か
  
1 「遊び」
  2 「空間」としての「遊び」
  3 「演劇」としての「遊び」
  4 「知的遊戯」
  5 「祭」
  6 「笑い」
  7 自由について

 II なぜ今の日本では楽しく生きるのが難しいのか
  
1 労働時間
  2 終身雇用
  3 人生を楽しまないことに慣れてしまった日本人

 
III 楽しく生きるにはどうしたらよいのか
  
1 主体的に生きる
  2 主体的に生きるために個性を生かす ・ 個性を知る
  3 職業の試行錯誤 ― 転職について
  4 自由教育
   ( i )  主体性と個性をもたせる教育
   ( ii ) 「自由の意義」の教育
   ( iii ) 日本の自由の発展のために
   ( iv ) 自己主張することと「多事争論」の教育
  5 マス・メディア
  6 「年功序列社会」 と若者
  7 感性による行動
  8 芸術、特に音楽について
  9 スポーツについて
  10 ユーモアについて
  11 「生」 を楽しむ ・ 「今」 を楽しむ

 
おわりに
  主要参考・引用文献

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  II − 1  労働時間  


  言うまでもなく、おとなは労働をせざるを得ないため、生活から楽しさ(遊び) がどんどん失われてしまいます。とりわけ日本人の労働時間は長く、その分日本のおとなたちの楽しく過ごせる時間は少ないものとなっています。ここでは労働時間について考えてみましょう。

    古代の人々の労働時間は1日につき 3〜4時間であったと言われています。また、当時は 「会社」 のために働くなどということはあるはずもなく、人々は現代人のように労働を不快と感じてはいなかったはずです。日本の古語の 「遊び」 に 「狩猟」 の意味がありましたが( 「遊び」のページを参照してください)、狩猟が食物を得る最大の手段だった頃の人々にとって、労働 (狩猟) は喜びでもあったのでしょう。だからこそ、今なお狩猟は趣味として私たちの時代に残っているのです。

  また、現代においてなおも原始的な生活を営んでいる部族の中には、「働く」 と 「遊ぶ」 を同じ一つの動詞で言う部族もあるということです。

  文明が高度化、複雑化するにつれて人間は1日に8時間あるいはそれ以上も働くようになりました。考えてみれば変な話です。文明が本当に進歩したのなら、私たちの労働時間はどんどん減っているはずではないでしょうか。私たちは、自分たちを文明人だと思っています。古代人の2〜3倍、あるいはそれ以上の時間を労働に費やし、 過労死する人まで出現している状態で、本当に 「文明人」 だと言えるのでしょうか。

    なぜ私たちの労働時間の方が長いかと言うと、私たちの 「物を所有したい」 という欲求が非常に強いからです。その強さは昔の人のとは比べものになりません。原始人は横穴式住居に住み、着るものも食べるものも質素でした。もちろん、当時の人々がそれで完全に満足したわけではないでしょう。もしそうだとしたら物質文明の進歩はなかったはずですから。

    しかし、現代のように世の中に溢れんばかりの 「商品」 があったわけでなく、したがって原始人の所有欲も極めて弱いものであったはずです。 昔の人はその質素な衣食住とささやかな装飾品などを確保するだけの労働時間しか持つ必要はなく、結果として1日に 3〜4時間の労働で間に合ったのです。

    昔の人はそれ以外の時間を 「遊び(祭などの宗教行事を含む)」 に費やし、原始時代におけるラスコーやアルタミラの素晴らしい洞窟壁画もそういった時間に描かれたのでしょう。 ところが、物質文明が発達し始め、また物品も最初は自給自足だったのが物々交換されるようになり、さらに貨幣経済の時代になって 「商品」 として流通し始めると、それは人々の人生観 ・ 価値観 ・ 幸福観を大きく変えることになりました。

     「商品」 は人々の購買意欲 (所有欲) をそそり、また、人々はその欲求を満たすことに大いなる快感を意識するようになったのです。 それどころか、多くの商品を買えるだけの財カを持つことこそ最高の幸福といった幸福観が生まれ、流行するようになったのです。

    そして、人々は財カをもつために1日に 8時間あるいはそれ以上も働くようになったのです。しかし、言うまでもなく労働時間が長くなると収入が増え、商品を買うことはできても 「遊び」 の時間はなくなります。

 

 

    私たちは、しばしば 「時間がない」 と言います。しかし、そんなことはありません。私たちが生き続けている限り時間はあるのです。 「時間がない」 のではなく 「自分のやりたい事をやるための時間がない」 というのが正確な言い方でしょう。また、仕事をしながら私たちはまるで身内に不幸でも起こったかのような憂欝 (ゆううつ) な顔をして 「ああ、もう1時間が過ぎてしまった」 と言います。そう言った瞬間に新たな 1時間が始まっているにもかかわらずです。これは、多くの場合その仕事に締切り時間が設定されていて、その締切りまでに残された時間を失いつつあるためです。いずれにしても、そのような状況に自分を置いたのは、他ならぬ私たち自身です。

    「時を得る者は万事を得る」 という諺があります。この言葉は 「時間を無駄遣いしないで急いで仕事をする人は成功する」 と解釈されますが、そうではなく 「自由な時間をもつ者は成功する」 と解釈されるべきではないでしょうか。同様に 「時は金なり」 も 「自由時間は財産である」 と解釈されるべきでしょう。

    「小人 (しょうじん) 閑居(かんきょ) して不善を為す」 という言葉があります。これは 「愚か者は暇をもつと悪いことをする」 という意味で、中国の思想家 ・ 朱き ( 漢字は 「喜」 の下にれっか。また、この人物の尊称は「朱子」 ) の編纂した 『大学』 という書物の中にあるものです。 この 『大学』 という書物は権力者が民衆を支配するために書かれたものでした。私たち現代日本人は 「小人」 ではありません。それとも、日本の企業経営者は、社員を 「小人」 として支配するために暇な時間を与えないでいるのでしょうか。

    1994年の日本の労働者は、年間で平均1904時間働きました。これは以前に比べれば短くなってきていますが、平均で1700時間以下のフ ランスや、1600時間以下のドイツ (旧西ドイツ地域) と比べるとまだまだ長いものとなっています。 戦後のモノの無かった時代ならともかく、現代の私たちが商品を買う快感と 「遊び」 の時間を持つ快感を天秤に掛けて、商品の方に大きく傾く人はそれほど多くないと思われます。にもかかわらず、 日本人の労働時間が依然として長いのは何が原因なのでしょう。  

 

2011年現在でも、日本人の労働時間 (有償労度時間) は国際比較で最も長いものとなっています。


一日の有償労度時間 (OECDによる)

1 日本 時間16
2 韓国 時間48
3 中国 時間40

 

  日本人はしばしば残業や休日出勤をします。その理由は、そうしなければ自分に与えられた仕事の締切りに間に合わないからです。 日本の企業では多くの場合、担当する社員が普通の 8時間労働をしているだけでは間に合わないほど早い時期にその仕事の締切りを設定します。そのように計画を立てることにより、新製品を一日も早く開発し生産にこぎつけて他の企業に負けないようにしたり、迅速なサービスを行って顧客の信頼を得ようとしているのです。

    したがって、普通に勤務しているだけでは締切りに間に合うはずもなく、間に合わせようとすれば残業や休日出勤をせざるを得ないのです。 ポーランド大統領であったワレサ氏 ( “ヴァウェンサ”氏と言う方が良いそうですが ) が、かつての共産主義政権下において、当時の自主管理労組 「連帯」 の委員長として来日したことがありましたが、 その際、彼は日本の企業の計画的 ・ 管理的生産を見て 「日本の企業の方がポーランドよりもはるかに共産主義的だ」 と言ったということです。  

    他の企業に負けないように次々に新製品を出したり、迅速なサー ビスをしたいのはどこの資本主義国の企業も同じです。それなのになぜ日本の企業社会だけが、かつての共産主義国も顔負けの息もつまるような管理社会になってしまったのでしょう (しかも、物価から考えると日本の労働者の賃金はそれほど高くありません)。  

    その理由は、海外の企業経営者に比べ日本の企業経営者は自分の 会社が業績不振に陥ることを極端に恐れているからです。というのも、今、日本の企業社会には 「終身雇用」 という “現象” が存在しているからです。「終身雇用」 とは何かと言えば、企業は新人を採用する際には学校を卒業したての若い人を採用し、そして一旦採用したら定年まで雇い続けるというものです。

    この “現象” が存在しているために、日本のかなりの企業が新人の採用時に 「新卒のみ」 とか 「30歳まで」 といったような年齢制限を設けています。この年齢制限が存在しているために、日本では年齢が高くなるほど再就職は難しくなってしまい、このため経営者としても一旦雇った社員に対しては、経営が悪化したからといってすぐに解雇することはできなくなってしまいます。会社の業績が悪化すれば、すぐに社員の数を減らして立て直しを図る海外の企業とはこの点で全く異なります。

    「一人の社員もクビにはできない」 という厳しい条件のもとに企業経営を行おうとすれば、わずかの業績不振も許されないと経営者が考えるようになり、「前年比」 や 「他社比」 に神経質になってしまうのは仕方のないことであり、結局、「定年まで雇うから、そのかわり残業や休日出勤は我慢しろ」 ということになってしまうのです。

    「終身雇用」 は 「終身雇用 “制度” 」とか日本の 「雇用 “慣行” 」 だとか呼ばれていますが “制度” でも “慣行” でもなく、特定企業の特定社員を対象にした一時的な “現象” にしか過ぎません (この点については詳しく後述します。  終身雇用をご覧ください )。

    とにかく、この 「終身雇用」 という現象が消滅しない限り、日本人の労働時間が短くなることはないでしょう。もちろん、労働者としての日本人の意識は変わりつつあり、この点についても後述します。また、消費者としての日本人も変わりつつあります。日本人は今日に至るまで、少しでも便利な新製品が出ると少々値段が高くても買ってきました。あるいは、高くてもすばやく修理してくれる店を 「サービスがいい」 と言って喜んできました。しかし、今日の消費者はそんなことよりも 「安い」 ことの方を選び始めているのです。

 

 

 

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