燃えた道才  広石の昔話し 壱

 むかぁし、むかし、広石という所ののぅ、上中っちゅ〜所の、丁度、さかいの辺りにの
 中池言う、まあるい池が在った。その西の、ちょうど山すそには、小さな庵(いおり)が
 ちんまりと在ったんじゃよ。その隣には小さいながらも田んぼも在った。

 庵には一人のお坊さまが住んで居られた。そのお名前は「道才さま」ちゅうてんじゃ。
 それでの、その庵を「道才庵」と皆が言うておった。隣の田んぼは、道才さまが、
 自ら鍬で耕してのぅ、出来た米を、仏様に、お供えしておられたんじゃよ。

 道才さまは、毎日欠かさず、広石の家を一軒、また一軒と、鐘をならし、村の衆が
 病気にならんよう、元気に働けるよう、お経をあげては托鉢をして回って居られたんじゃ。

 それはそれは信心深い方でのぅ、小さい子供が泣いておれば「どうしたかいの?」と
 やさしゅうに、声をかけられ、農具の具合が悪いちゅうて、村の衆が困っとると、早速に
 鍛冶屋衆の所へ足を運ばれ、どんな事も厭われずに、よう勤められたんじゃ。
 それでの、もう、村の衆からは「道才さま」「道才さま」言うて、誰からも慕われておったのよ。

 そうしたある日の事じゃった。あれは、そうじゃのう、秋の刈り入れも終わって、
 村の衆もヤレヤレと思うとった頃じゃったよのぉ。

 道才さまは、いつものように托鉢をして居られたんじゃが、その一軒、一軒へ
 お別れを言うては回っておられるんじゃよ。

 「村の方々とも長らくお世話になりましたが、私は思うところ在りまして、今度
 西国へと旅に出る事にしました。皆様とはこれでお別れでございます。」

 村の衆は驚いたよのぉ。あれほど良うして下さったのに、お別れじゃ言うて、
 西国へと行かれるそうな。西国とは何処かは知らんが、遠いところなんじゃろうなぁ。
 村の衆は、道才さまと別れるのは、本当に寂しうて、辛うて、
 出来る限りは、またこの村へ帰って来てくれるように、みんなで頼んだんじゃよ。

 ところがの、道才さまは首を振って、こう仰った。
 「ありがたい事ですが、西国というところは、一度行くと、もう再びここへは
  帰っては来れないのです。皆様の気持ちだけ、十分にありがたく頂戴致します。」
 そう言うての、道才さまは、これが本当のお別れじゃ、と、顔を伏せ、
 涙ながらに、むせぶように言われたんじゃよ。

 そうした後の事じゃった。
 道才さまは、しきりに庵の周りの下草を刈り取り、薪を集め、庵の周りに
 そのたきぎをドンドン囲み始められた。

 そうして二日経ち、三日経ち、見る間に庵の周りは、薪と、たき付けで
 いっぱいになってしもうた。

 村の衆は、道才さまが、何をしておられるのか、さっぱり解らなんだ。

 「道才さまは西国へ行かれる言うておられたが、一体、あの沢山のたきぎは
  何にされるんじゃろうかのぅ。」
 「そうじゃのう、偉いお坊さまのされる事じゃから、間違いは無かろうが、
  一体どうされるのじゃろうのぅ。」
 村の衆は、それが一体何の事やら、不思議でたまらんかったんじゃ。

 それから幾日が経った、風の強〜〜い日の事じゃった。
 突然、村の衆の叫び声が聞こえた。
 「たいへんじゃ〜〜〜。火事じゃ〜〜〜。道才庵が燃えとるど〜〜〜!!!。」

 その声に、村の衆は一斉に中池へと走ったんじゃ。
 半鐘の鐘が、ガンガン、ガンガン、もう、村の外まで聞こえんかと言う位に、
 大きゅうに響き渡ったのよ。
 「火を消してくれ〜〜、道才さま〜〜ぁ。」
 「大変じゃ〜〜。水をかけてくれ〜〜〜ぇ。」
 次々と村の衆は集まって、燃えさかる火を前に、一生懸命に火を消そうとしたんじゃ。

 庵の前にある池の水を、どんどん汲み上げては、燃えている庵へと水をかけた。
 これでもか、これでもか、と、身体がビリビリ震えるほど、一生懸命じゃった。

 その時じゃった、村の若いモンが叫んだんじゃ。
 「道才さまが、ああ、道才さまが燃えとる〜〜っ。」

 その声に、村の衆は、一斉に庵の中を見つめた。
 「あっ!!。」
 一瞬、村の衆は、息を呑んだ。真っ赤な炎は、庵の壁を伝い、屋根を伝い、
 もう、ここも、あそこも、全部が、メラメラと燃えて、熱うて、近寄れんのじゃ。
 その燃えとる、ちょうどなかほどに、道才さまが、じっと、
 ただ、じっと座られ、静かに鐘を鳴らし、手を合わせ、お経を唱えておられた。

 村の衆は声も無く、ただ、黙って、その姿を見つめた。
 「道才さま…。」
 その時、誰からともなく、道才さまと一緒に、お経を唱える声が聞こえ始めたんじゃ。
 「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ…。」
 そのお経の声は、いつしか、辺りに広がり、燃える炎に負けんくらいに
 大きな声の波になって、あたりへ、遠く、遠く、こだましたんじゃよ。

 それからのぅ、やっと、いっときほど、時が経って、ようやっと火の手はおさまった。
 風も強かったんでの、あっ、という間の出来事で、庵はとうとう燃え尽きてしもうた。
 それでの、道才さまは、その庵と一緒に、とうとう灰になってしまわれたんじゃ。
 村の衆は、その、道才さまの遺骸を、一つ、また一つ、ひらっては壺に入れ
 涙ながらに、丁重に、丁重に、葬ったんじゃよ。

 道才さまのお行きになった西国とは、夕焼けの向こうにあるという、
 あの世の事じゃったのかも知れん。
 西国からは二度と帰ることは出来ん、と、仰った、その通りに、二度と
 道才さまはお帰りにはなれんかった。

 村の衆の、辛さ、苦しさ、病気や悪いココロ、そうしたモノを全部、全部、
 道才さまが、一人で、炎と一緒に持って行ってしまわれたんじゃろうか。

 じゃが、そうした事は、村の衆にはどうしても解らんかった。
 ただ、ただ、その道才さまの優しい面影を、何時までも何時までも、忘れんように、
 庵の在った所に塚を建てて、そのお姿を偲んだんじゃよ。

 ほれ、ここに立っとるじゃろう??。
 「道才墓」と書いてあろう??。隣には田んぼも、ちゃあんと残っとる。

 本当に道才さまは偉いお坊さまじゃったのよ。
 どうか、みなみなに、そう伝えてくれよのぅ。

 たのむでのぅ。

     ※今も道才さまの田んぼや、庵の在った所が残っています。

                                                         画像提供 とだ勝之 先生 感謝