かんのき山

 それがもう古いことでの、詳しい事は解らんのぢゃよ。

 ただのう、この細い道を、ずっと山に沿って登って行くと、丁度平らで、
 広場の様な所があるんじゃ。
 そこが「でぁいがはら」言うところよ。おそらくは「台ヶ原」とか「出会いヶ原」やら
 言うんぢゃろうのぅ。

 それがなして「台」というんかは、そこが広場の様になっとって、その形から
 来たんぢゃろうの。出会い、言うのも、元々は、この山を境にして、山のあっち側と
 こっち側とが、ちょうど広い場所で出おうて集まった、ぢゃから「出会いが原」
 言うたんぢゃろう。

 それに昔しゃあの、盆踊りをここで踊っとたんよの。夏になると、盆になると、
 みんな帰って来るぢゃろう?。帰るんは、人だけぢゃない、昔のご先祖様もよぉの。
 それでの、山の上で老いも若いも、みんな団子になって踊るんよ。それで
 いつの間にやら「おどりヶ庭」ちうて言うようになった。

 今はのぅ、盆踊りなんちうもんは小学校やら、公民館やら、そうした場所で
 踊るがの。本当の盆踊り言うのは、山のカミサマ、里のカミサマ、それから
 戻ってきたホトケサマ、それらがみんな仲良う踊る場所、
 そうした場所は山の境の様な場所だったんぢゃ、と、思うよの。

 その「でぁいがはら」の麓ではつい最近まで炭を焼いておった。炭焼きは
 寒い冬の決まりごとよの。

 山にあがって、木を切って、炭に焼いて燃料にする。今のように、灯油
 なんちゅうものは無いんじゃからの。火鉢いうて、灰を貯めた一抱えもある
 焼き物の中に炭を入れて、部屋の中に置いて使う。

 夜になったら炭の残り火に灰をかけて中におきを寝させるのよ。
 翌朝にはまた「ふうふう」吹いて、いこして、新しい炭を足すのよ。
 そりゃあエコロジイちうか、無駄な事はありゃあせん。天が授けて下さるもんよの。
 ありがたいことよ。ほかに炬燵にも使うがの、でも、電気なんぞ使う訳きゃあ無い
 のよ。畳の角を落として、そこへ炬燵をすける(置く)。

 すけた炬燵の中で椅子の様に、足を出して腰掛けてあたるのよ。朝一番で
 昨日の炭をまた熾して、新しい炭も足して、そうして火種をずっと絶やさんよう
 に、そりゃぁ気を付けておったもんよ。

 ところがのぅ、うっかり生焼けの炭を入れようもんなら、そりゃぁ大変よぉの。
 もくもくと煙が上って、炬燵の布団をあげた途端に、たちまちそこら中の
 もうり(辺り)に煙が立ち上って、そりゃあ、目は痛いわ、喉はやられるわ、
 あわてて外に出て「へぇへぇ」息を切らすんよ。そりゃしんどい(苦しい)事よの。

 その炭焼きをしよった場所から「おどりヶ庭」を通り、でぁいがはらを抜けて行くと
 「馬通し」ちう所を通る。その名のとおりに馬が通った場所よのぅ。なして馬が
 通るか、言うのはの、ほれ、この石の塊の様な物を見てみや、ブツブツと穴が
 開いとろう??。こりゃあの「かなくそ」言うものぢゃよ。

 かなくそ、言うのはの、金物を焼いた後に出来る糞の事よ。製鉄とか精銅ちうのは
 知っとるかの?。

 「炉」ちうて、土を盛り上げてカマドの様にしての、そこに砂鉄やら鉄鉱石やら、
 ほかにも銅の鉱石やら入れるのよ。木を切って燃料にして、何千度の熱が
 あるやらのぅ。真っ赤に燃える炉の中は、まるで恐ろしい地獄の、えんま様が
 笑うておるようぢゃよ。

 炉の中は真っ赤に燃えておるが、それが溶けて、ひとかたまりに固まってくるとの、
 底の方からドロドロに溶けたものが流れて出てくる。これが出んと大変よおの。
 炉がどか〜〜ん、と破裂してしもう。そのドロドロの真っ赤なのが「かなくそ」言う
 ものよの。冷えて固まった後がこのボコボコした石よの。

 なして今もそのまんまに残っとるか、言うとな、鉄だの銅だのは、長い間には
 錆びてボロボロに崩れてしまうがの、かなくそ、言うのは金物以外に、中に
 あったもんで、どっちか言うとガラスの様なものよ。黒くてツルンとしとるぢゃろう?。
 金物ぢゃあ無いんで錆びる事もなしに残るんぢゃよ。

 こうして山の上の方で、長い間「精錬」言うものをしておったんぢゃよ。
 作った金物を運ぶのは、車ぢゃあ無いで。それが馬なんぢゃよ。馬の背に出来た
 鉄やら銅を乗せて運んだ、それで馬通し、言う名が今に残っとる、という訳ぢゃよ。

 このでぁいがはらの精錬は「銅」を作っておったそうぢゃよ。

 馬通しは、ずっと山の上まで続いとる。山の名前は「かんのきやま」言うのよ。
 かみのきのおやま、言うのが元ぢゃそうな。「かんのきさん」ちうて言うのよ。
 「神木山」の事ぢゃろうな。製鉄に大事なのは鉱石だけぢゃない、木が無いと
 出来ん事よの。昔の人いうのは、こうした事を大事に大事にしたんぢゃろうなあ。

 かんのきさんの近くには川もある。川の流れ、言うても小さいものよ。ところがの、
 それはあっちのおやま、こっちのおやま、その両方に向かって流れておるのよ。
 今で言うなら「分水嶺」ちう事よの。これがカミサマの元かも知れんの。水のカミサ
 マ、火のカミサマ、木のカミサマ、色んなカミサマの力がのうては、人はカナモノを
 作る事が出来んかったんじゃな。出来た鍬やら鍬やらで、田を耕すやら、
 畑を作るやら、それから稲を植えるやら、こうした事はの、全部カミサマの力が
 無くては出来ん事ぢゃったのよ。

 かんのきさん、言う所はの、昔の昔の、そのまた昔から、カミサマを大事に大事に
 して生きて来た、そういう人たちの長い長い歴史があるんぢゃよ。

 どうかの、あんたにもカミサマは見えるかの?。