棲真寺縁起くどき  別所地区定ヶ原


郷土の名刹棲真寺    これぞ我が住む大草の
数多古跡のあるその中で   人に知られた名所なり
さればこれより由緒を語る   時は移りて七百余年
安芸の豪族郡鶴城の   時の城主で土肥遠平は
鎌倉将軍源の   頼朝公の姫君で
妻木の姫とて十六歳の   雪の肌へに月の眉
花も恥らう麗き人を めとりて妻とし睦まじく
月よ花よと暮らすうち  はかなき夢はいつしかに
やがて栄えん行く末の  花をも待たで夏の夜の
短き夢のそれの如  あえなく消え行く苔の下
露もまだ干ぬ緑葉の   繁き梢の下蔭に
ほととぎす鳴く遠平公 ありし昔のいとし妻
今は天窓妙仏の  菩醍弔うためにとて
大草村では別所の奥に  堂宇がらんを営みて
仏照禅師が留錫し  福田  別所の官租を納め
寺の礎は定まりぬ  これぞ棲真寺の縁起なり