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蓋石の銘文


それは、人が、近代文明という社会を知らずにいた時代。
そしてその文明の発端ともなった神代の時代。
ある人々が石の蓋へ銘文を彫り込んだ。

しかし、近代になって発見されたその石は、まがい物として発表され、
破壊され、捨てられてしまった。

しかし、今、古き時代の本当の事を探す者が現れ、再び銘文は
人々の興味の対象になった。

かろうじて残った当時の覚え書きだけが、その僅かな痕跡を、
今に留めている。

ここは、その銘文の解読の為のページです。
 


岩戸蓋石の寸法
タテ凡そ1.2尺、ヨコ凡そ1.3尺、中央部の厚さ凡そ2.5寸
宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸に鎮座の「天岩戸神社」の近くにある天岩
戸の岩窟辺から掘り出された甕(かめ)の蓋石のことである。これについては田近長陽著「高千穂古文字伝」に詳しく記してある。
これらの記録によると昭和31年7月、東京から学術調査団がやってきた
とき、ある新聞が蓋石の史的信憑性がない−と報道したので、岩戸神社
の氏子一同が検討した結果、地上から永久に抹殺することになり、粉々
に砕いて近くの川底に沈めた。

 
 
 
 
さて、これから文字表を宛てて解読をしていくことにする。

元々サンカ系の文字が羅列される事には直ぐに気づくが
幾つかの他の系列もまばらに挿入されている。
特に問題なのが「鳥居」の形で、コレをどう解釈するか、
という点に細心の注意が必要だろう。

単純に鳥居を神の形として意匠としたならば、神社を表す
可能性も否定しがたい。
また、最初はカナから宛って後、再び同じ部分の漢字も
参照する必要もあるだろう。

カナ変換分                        漢字変換分


ソネミキミカミトミカ
ミセミカトシホエコ()ノ
ウレイワ
ホノアカリノ()()コ()ノアメイワト
ニコモリムストキ()アソヒノソ
ナエニトレル()トレ()オオミカカミワ
スメヲヲミカミノミカトフテアメノイ
ワトニ()コフモチイカトフフナルヲア
ソ()ノイワク()ノコ()ノキフニイワシ
テキヒラニカテ
カクフオ
クナリ
麻根身木身蚊身戸身蚊
身背身蚊戸雫穂エ子()野
ウ切イ輪
穂野ア蚊針野()()子()野ア目イ輪戸
荷子漏針紫居戸木()ア麻火野麻
魚エ荷戸切見()戸切()オオ身蚊蚊身輪
居目紵紵身蚊身野身蚊戸緑手ア目野イ
輪戸荷()子緑漏乳イ蚊戸緑緑魚見紵ア
麻()野イ輪繰()野子()野木緑荷イ輪雫
手木火腹荷蚊手
蚊繰緑オ
繰魚針

解 読 文

蘇根美伎御神と御神
*根の国より蘇る、イザナミ、イザナギ両神とスサノオノミコトの子

背御加年穂得固()の
*須瀬理姫の兄ニギハヤヒノミコトをもって作ら
 しめたる

歳穂得て子()の
*稲穂を得て、守り固めたるが

憂いは
*その憂いは

穂乃明の()()子()の天岩戸
*イワレヒコノミコトの御世に天の岩戸

に籠もりむす時()阿蘇火の備え
*に籠もり、マオトコフスマの夢す時、()阿蘇の 山は火を吐き、備え

に採れる()と?()大御鏡は
*に稲穂を御陵()()大御鏡は

皇大御神の御蕨と富手天の
*アマテラスオオミカミとニギハヤヒノミコトの霊
 現に依り、天の

岩戸に()固富持ち意かと奉奉なるを
*岩戸に()を堅く誓いを奉り

阿蘇()の曰わく()の固()の記譜に
*阿蘇の()の曰わくを()固く誓い()の上に記し
 て譜とし

言わして忌避らに
*後の御代に伝える為に書き置くなり