青目寺の文化財  府中市教育委員会 府中市の指定文化財より
広島県重要文化財 しょうもくじとうば
青目寺塔婆(1基)
(五層石塔婆)
1955年 3月30日指定
青目寺本堂右側にある収蔵庫北に建てられている。
花崗岩で造られた五層塔婆で、現高は208cmを測る。
基礎の正面に「正応五(1292)年二月二十八日、願
主源□」の銘文が陰刻してあり、初重軸部(塔身)には、
四面に胎蔵界(たいぞうかい)四仏の種子(しゅじ)を
薬研(やげん)彫りで刻んでいる。
各笠とも軒は厚く、真反(しんぞ)りに造られており、鎌倉
期の特色をよく現している。


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青目寺の文化財  府中市教育委員会 府中市の指定文化財より
広島県重要文化財
もくぞうにっこうぼさつりゅうぞう
木造日光菩薩立像(1駆)
1955年 3月30日指定
広島県重要文化財
もくぞうがっこうぼさつりゅうぞう
木造月光菩薩立像(1駆)
1955年 3月30日指定
一木(いちぼく)造りで像高88cm、平安時代初期の作で
ある。本像は木地に布を貼り、その上に漆を塗った乾漆
(かんしつ)像であるため、衣文の彫りがやや浅く見える。
今は剥落しているが、金箔を施してあったと伝えられる。



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青目寺の文化財  府中市教育委員会 府中市の指定文化財より
広島県重要文化財
もくぞうしょうかんのんりゅうぞう
木造聖観音立像(1駆)

1965年 4月30日指定
一木(いちぼく)造りで背剃(せぞ)りが施されている。
像高117cm、平安時代初期の作であるが、両腕は後
補されている。本像は青目寺が山上に栄えていた頃の
いずれかの御堂(みどう)の本尊であったと考えられる。




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青目寺の文化財  府中市教育委員会 府中市の指定文化財より
広島県重要文化財
もくぞうてんぶりゅうぞう
木造天部立像(2駆)
じこくてん・たもんてん
(持国天・多聞天)
1965年 4月30日指定
一木(いちぼく)造りで像高117cm(持国天)、118cm
(多聞天)でともに平安時代初期の作である。
持国天、増長(ぞうちょう)天、広目(こうもく)天、多聞天
の四天王の内2駆で、持国天、多聞天との伝承はあるが
両腕が後補されているため確定はできない。



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青目寺の文化財  府中市教育委員会 府中市の指定文化財より
広島県重要文化財
ごりんとうけいひきおおい
まんだらはんぎ
五輪塔形曳覆曼荼羅版木
1995年 1月23日指定
曳覆曼荼羅とは、棺に納められた遺体を覆う白布に
曼荼羅を描いたもので、それを印刷するための版木が
青目寺に伝わっている。 軟質の板材の一面に高さ
90.5cmの五輪塔形を陽刻している。
寺伝によると「正元元(1259)年四月二十八日の年号
が刻まれていたようだが、いまは磨滅してよく判らない。
図像などから、鎌倉時代製作と考えられるが、室町時代
以前の版木は全国に5例しか確認されておらず、全国
でも最古級のものと推定される。



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青目寺の文化財  府中市教育委員会 府中市の指定文化財より
府中市指定有形文化財 もくぞうそうぎょうざぞう
木造僧形座像
でんしょうもくしょうにん
(伝青目上人像)
1964年11月 5日指定
青目寺本堂内に安置されているこの僧形像は、寺伝に
よると青目寺の開祖青目上人の像と言われている。
像高79cm、膝張56cmの一木(いちぼく)造りの座像で
写実的手法により、素朴な表現をよく現し、のびのびした
作風が室町時代の特色を表している。


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青目寺の文化財  府中市教育委員会 府中市の指定文化財より

府中市指定有形文化財
せきぞうごりんとう
石造五輪塔
(伝うしの塔)
1964年11月 5日指定
この五輪塔は青目寺西方の山中に所在する。
塔は花崗岩で造られており、総高140cmで大形のもの
である。火輪(かりん)の勾配がゆるく、軒は厚く真反りに
造られ、水輪(すいりん)が太鼓状の形態をするなど、
古式を示しており、鎌倉時代前期頃のものと推定され、
県内では最古の部類に入ると思われる。


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青目寺の文化財  府中市教育委員会 府中市の指定文化財より

府中市指定有形文化財
しょうもくじせきぞうみずばち
青目寺石造水鉢
1974年 9月 9日指定
青目寺境内に置かれている。花崗岩製で高さ95cm
鉢は八角形で、側面に蓮華文を刻み出してある。
笠は高さ60cm、下半分の角を削いである。正面は
風化が甚だしく「□為□二世也」しか判読できない。
左側は「天文二四(1555)乙卯八月日」と判読できる。
この水鉢は、常福寺と同様、備後地方特有の形式である


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